2021-10-27

【第一工業製薬】坂本隆司会長兼社長が語る「再建の原点」

京都工場を見て涙…



 ―― 富士銀行(現みずほ銀行)の行員だった坂本さんが、2001年から第一工業製薬に来た理由は何だったのですか。

 坂本 実は、当社にとって2001年というのは、112年の歴史の中でどん底にありました。というのも、バブル期に当時の経営者が財テクを選択し、バブルがはじけると同時に大損を招いてしまった。それで、巨額の損失を計上し、処理に四半世紀も引きずることになってしまったんですね。

 日本は、失われた20年とか30年と言われましたが、当社もこの損失の始末に長い歳月を費やしたわけです。

 ―― 一番経営が厳しかった時期に転身したわけですね。

 坂本 その頃、わたしは当時の富士銀行で資産運用の仕事をしていまして、50歳を過ぎた頃でしたので、自分の第2の人生をどうしたらいいのか考えている時期でした。そんな時に弊社から声が掛かりまして、忘れもしない2001年4月11日に面接を受けに東京から京都へ来たわけです。

 すると38分の面談で話が進み、役員待遇で来てくださいと。役員報酬はこれくらいですがお越しいただけますかと言われて、わたしは5月31日付で銀行を退職し、6月から着任することになりました。

 ところが、着任早々、当時の社長が「坂本さん、申し訳ありません」と。何だろうと思ったら、わたしが面接した4月から会社に来るまでの2カ月の間に取締役会があって、「経営状況が厳しいので役員報酬は3割カットです」と(笑)。「それを受け入れられないのであればお帰りいただいて……」と言われたのですが、銀行を辞めたばかりですからね。

 ですから、本当にえらい会社に入ってしまったなと思いましたよ(笑)。


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