2021-11-08

【政界】総裁選、衆院選で変化した自民党内の力学 岸田首相に“意外としたたか”との評価も

イラスト・山田紳



重鎮が相次ぎ引退

 第2次安倍政権は官邸主導に最大の特徴があった。それを可能にしたのは、菅義偉が官房長官として霞が関ににらみを効かせたことに加え、自民党側では2016年に幹事長に就任した二階俊博の存在が大きかった。菅政権も最後は自民党に引導を渡された形になったものの、基本的には「政高党低」の権力構造を踏襲した。

 しかし、菅の退陣とともに二階も党運営の最前線から去った。二階派は総裁選への対応を最後まで決めきれず、岸田のもとで党四役ポストから外れた。二階の側近で前幹事長代理の林幹雄を四役にという淡い期待もあっただけに、落胆は大きい。

 岸田内閣には二階派から環境相として山口壮、新設の経済安全保障担当相として小林鷹之が入閣した。数の上では菅内閣と同じ2人を維持したが、山口と小林は総裁選で高市の推薦人。若手の小林は、岸田が党政調会長時代に立ち上げた党新国際秩序創造戦略本部(現経済安全保障対策本部)の事務局長を務めたことが評価されたとみられ、内実は一本釣りに近い。

 組閣から間もない二階派の会合で、二階は「役所は威張りに行くところではない。ぼやっとして威張り散らしているやつは役人からバカにされ、伝説のごとく語られる」といつになく冗舌にあいさつし、悔しさを押し隠した。

 幹事長交代は衆院選の公認争いにも影響した。二階派は旧民主党系議員らを積極的に迎え入れて勢力拡大を図ってきたため、複数の小選挙区で他派閥と競合。それでも二階が幹事長のうちは強気に交渉できたが、甘利明が幹事長に就任した途端、苦境に立たされた。

 派閥を挙げて一歩も引かない構えだった山口3区では、元官房長官の河村建夫が、参院からくら替えした元文部科学相の林芳正(岸田派)との公認争いに敗れ、引退に追い込まれた。鷲尾英一郎、細野豪志もそれぞれ新潟2区、静岡5区では公認されなかった。

 二階派では河村のほかに元衆院議長の伊吹文明も引退。幹部2人が同時に議員バッジを外したことで派閥の運営は様変わりしそうだ。二階も一時は引退説がささやかれたが、10月初旬に「私が立候補するのは当たり前のことだ」と否定し、「派閥が崩壊してしまう」という派内の動揺を抑え込んだ。

 二階は総裁選で1回目は野田聖子(現少子化担当相)、決選投票では河野太郎(現党広報本部長)に投票したとみられる。岸田と距離を置いたことで当面、表舞台に戻るのは難しくなった。二階派のベテラン議員は「二階さんが必要とされるときは必ず来る」とあきらめていないが、同派には世代交代の波が押し寄せている。

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