安売り型、サービス型 どちらで生きるのか?
―― まずは1994年にパソコン専門店として独立したきっかけから話してくれますか。
野島 わたしはもともと父が経営する家電量販店ノジマにおりまして、現在のノジマ社長である野島廣司はわたしの兄です。
この頃、わたしは独立したいと考えていて、ずっと独立したら何を売ろうかと考えていました。当時はパソコンが普及し始めた頃で、これは面白いものが出てきたぞと思い、コンピューター屋になろうと決めました。
実はノジマが1994年に店頭公開しまして、それで親から退職の許可が出ました。94年12月に『PC DEPOT』1号店となる新横浜店をオープンし、たまたま、その直後に『Windows 95』が発売され、一気にパソコンブームが起こった。その意味では、運が良かったと思います。
―― なるほど。それでパソコン専門店をオープンしていったと。
野島 はい。現在は首都圏を中心に東北から九州まで約130店舗を展開しています。
もっとも、わたしは文系で、どちらかというと機械音痴でしたので、パソコンの扱いが分からない。だったら、わたしのようにパソコンの扱いに困っている人をサポートできるような体制が必要だろうと。そう考えて、気づいたらパソコンの販売だけでなく、技術のサポートや保守サービスなどに事業が拡大していったということです。
―― なるほど。顧客のニーズに対応していったら、自然にビジネスモデルが変わっていったと。
野島 ええ。とはいえ、現在も物販は4割強から5割くらいの比率があります。パソコンには買い替えサイクルもありますし、やはり、お客様のニーズをきちんと拾っていけば、まだまだ物販もサービスも両方伸ばしていけると思います。
―― 独立後の経営は順調に推移したんですか。
野島 ある程度は順調にいきました。当社はドミナント(集中出店)戦略を掲げていて、新横浜から始まり、神奈川、東京といった比較的近い地域に出店を重ねて行ったんですね。
ところが、2000年代に入って、わたしが考えたのは、これからインターネットがどんどん普及するにつれて、われわれはどのように生きるべきなのかと。一つは出店を重ねて、製品を安売りして生きていくのか。もう一つはサービスで生きるのかと。それで、わたしはサービスで生きようと考えまして、2006年に現在でいうサブスクリプション(定額課金)の事業モデルを始めました。