2020-12-16

元厚生労働事務次官と、72歳で介護福祉士資格を取ったビジネスマンが語る「人が支え合う介護社会」

辻哲夫・健康生きがい開発財団理事長(右)、石井統市・介護福祉士

辻哲夫
1947年生まれ。兵庫県出身。東京大学法学部卒業後、71年厚生省入省。2006年厚生労働省厚生労働事務次官。09年東京大学高齢社会総合研究機構教授。20年同機構・未来ビジョン研究センター客員研究員。医療経済研究・社会保険福祉協会理事長など多くの役職を兼務。

石井統市
1947年生まれ。鹿児島県出身。陸上自衛隊少年工科学校卒業、獨協大学法学部卒業後、大手流通業入社。関連会社数社の役員を兼務後、大手クレジット会社移籍、部長職を定年退職。出版社専務を経て現在、介護職員。

「会社を辞めて介護福祉士の資格を取られ、実際に介護事業所で働いている石井さん自身がわれわれへのメッセージなのです」と語る、元厚労次官の辻哲夫氏。超高齢社会の日本はこれから85歳以上人口が激増。要介護の入り口とされる年代だ。介護現場で働く石井さんは問題解決の道筋として介護職員の待遇改善と、家族が関わる『家族介護』の必要性を訴える。お互いに支えあう社会づくりとは─。

人口の3分の2の人が85歳を超えて100歳を目指す時代に


 ─ 辻さんは超高齢社会の日本で持続可能な地域の仕組みづくりに尽力されてきましたね。まず、いまの日本の現状認識を聞かせて下さい。

 辻 はい、いま大きな変化が起こっています。今や人生100年時代と言われていますが、これは文字通りで、これから85歳以上人口が激増して、何と日本では2035年頃には1千万人近くまで増えるのです(2020年9月現在618万人)。2040年ころには3分の2ぐらいの人は85歳以上まで生きられるので、相当の人が85歳を超えて100歳を目指す時代がやってくるということです。

 一方、日本人の心身の自立度についての調査を見ますと、中にはすごく元気な方もおられますが、平均してみれば、85歳というのは要介護の入り口です。大変な時代になってくるわけです。ですから我々は、年を取ってもできる限り元気に働いて、85歳以上になっても社会で役割を果たすぞ、という生き方でなくては、日本は成り立たない時代がやってきます。

 一方、「最期はぴんぴんころり」と良く言われますが、なかなかその通りにはいきません。大なり小なり人の世話になり幕を閉じるのが人生です。ですからできる限り働いて、社会に参加する人生を志し、そして誰もが迎える弱った時期を安心して迎える社会の仕組みをつくる。世話になる期間は短いほどいいですね。これが日本のこれからの大きな課題です。

 今までは病気でなければ良かったわけですが、これからは病気でなくても長生きしたら体が弱ります。いかに長く元気に働いて社会に関わるか、そして体が弱っても安心して幕を閉じられるか。すなわち介護がとても重要な課題になるのです。

 ─ 石井さんは72歳で介護福祉士の資格を取り、実際介護の仕事に就いています。こうした生き方をどうとらえていますか。

 辻 石井さんの生き方は劇的です。68歳で会社の役員の地位を捨てて介護の事業所に勤められ、介護福祉士の資格もとられた。時代を先取りするような生き方です。自ら、介護というたいへん重要な課題に立ち向かわれたわけです。私に石井さんと同じ人生を歩めといったらとてもそんな自信はありません。

 この石井さんの行動はこれからの生涯現役という生き方のモデルだし、われわれに対するメッセージだと思います。多くの人に知っていただく必要があると思っています。

 そして、石井さんは、著書『きっと楽になる家族介護のすすめ』で、自ら親の介護を長くされた経験に基づいて、自分は素人だった、やはりきちんとプロの力を借りればもっと楽な家族の介護ができた、と明らかにされています。しかも、家族が同居してつながり続けることが大事、そのために専門性のあるサービスを大いに活用しよう、と考え方を述べられています。誰もが長生きをして最期は弱る。これからの時代の必読の書だと思います。

介護の仕方を勉強しながら無駄に苦労をしていたと反省


 ─ これからの多くの人、社会の道しるべになると。

 辻 そうです。どんなに裕福で恵まれた人でも、多くの人は最期は認知症になったり、体を動かせなくなるのです。家族も皆その事態に遭遇します。では施設に入れば幸せか、というと必ずしもそうではない。やはりどんな人も家族と関わりを持ちながら、豊かな人生を送りたいはずです。

 ですから誰もがこれから一度は経験する道をどう受け止めるか、という意味で、この著書から学ぶべきことが大きいと思います。

 ─ 72歳で介護福祉士の資格取得、いま介護の仕事に従事している石井さんですが、決断した経緯を聞かせて下さい。

 石井 はい。私はちょうど2000年、介護保険が導入された年に、田舎から両親を呼んで同居を始めました。母がほぼ認知症の状態で、体もだいぶ弱まっていたのです。介護の本を5、6冊読んでいたのですが、いざ同居して世話を始めると、それらは頭からすっ飛んでしまい、どう対処していいか分からない日々が延々と続いてました。

 仕事をしていてさらに介護もとなると、さすがにへとへとです。そういう状況が続きました。

 その間、介護保険の認定を受け多くの方の助けを頂戴しました。最期は脳梗塞になって2年ほど施設に入りましたが、父が元気でしたから、だいぶ楽になりましたね。月2回自宅に連れて帰ってきたりして2013年に母は亡くなりましたが、介護施設に伺うと若い介護職員の方が一生懸命、母の世話をしてくださるのです。頭が下がる思いでした。いつも、ありがとうございます、とお礼を申し上げました。父は毎日、妻も週3、4回、私は土日のいずれかに会いに行っていました。

 ─ 若い介護職員に動かされたのですね。

 石井 はい。これだけ高齢者に尽くしてくださる若い方々に何か恩返しできないかと思い、サラリーマン生活に終止符を打ったのです。それで全日制介護学校に6カ月通い、体の老化のことや、介護の仕方を勉強しながら、無駄に苦労をしていた、とつくづく思い、反省しました。その後、介護施設にパートで入り4年3カ月になります。

 それで、専門職の介護と、一般の家族の介護には大変なギャップがあります。ですから、専門職の介護の仕方を一般の方々のために分かりやすく解説をして、皆さんに楽になってほしいと考えたのです。その思いを今回、上梓した本にも込めました。

国が進める小規模多機能居宅介護とは


 ─ 介護の現場では若い人が現実には直ぐ辞めてしまったりします。そういう厳しい現場の状況について、実際に勤められていて、どう感じていますか。

 石井 私は73歳ですが、介護職員の主力は20代から50代までぐらいです。私が勤めているのは「小規模多機能型居宅介護施設」という、地域内で大体、中学校と同じぐらいの設置箇所数で設置する方針で国が進めている施設です。地元の人はそこでデイサービスやショートステイをご利用いただけます。

 いわゆる3K職場ですが、まず平均給与が全労働者より10万円くらい低い。その割に仕事はきついです。給与と労働のギャップが大きいことが転職をする原因になっています。せっかく人を助けたい、高齢者の方に尽くしたいと、この分野に入ってくるのに長く持たない。

 ですから私はできたら介護職員の給与を早急に引き上げていただきたいと考えています。また勤務環境も改善していただければと思います。辻先生がおっしゃる大変な社会が訪れるのです。その準備のために国の各層の方々がご支援してくださればと思います。

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