2022-02-27

なぜ今、『古事記』に注目が集まっているのか?  答える人  評論家 宮﨑正弘

古事記の舞台を巡る2年に渡る旅



 ―― 昨年11月、宮﨑さんは著書『歩いてみて解けた「古事記」の謎』を刊行されました。なぜ、この時期、宮﨑さんは古事記を書こうと思ったのか。そこから聞かせてくれませんか。

 宮﨑 近年、古事記が静かなブームになっています。関連書籍が数多く出回るようになり、歴史ものの雑誌やテレビ番組でも特集が増えました。

 古事記の研究はこれまでも多くの古代学者がやっていて、資料も山のようにあります。しかし、文学者がとくにそうですが、文献取材になっていて、かなりの諸説を読んだつもりですが、何か物足りないと感じていました。つまり、文献重視の解釈論になっており、現地を訪れて、自分の足で歩いている人が少ないんですね。

 だから、自分で歩いてみようと考えたのです。

 ―― 従来の古代史研究では、いわゆる、歴史の現場が軽視されていると感じていたのですね。

 宮﨑 ええ。何だか科学的合理性ばかりが重んじられ、現場の匂(にお)いや伝承(でんしょう)が軽視されているのではないかと。

 わたしの中には戦後の歴史教科書問題というか、戦後の風潮に対する憤りみたいなものがあります。戦後教育ではなぜ、『古事記』や『日本書紀』を教えないのか。歴史の教科書では先住民族や縄文、弥生時代の解説はあるけれども、古事記についてはほとんど触れられず、すっ飛ばされている。これはどういうことなのかと。

 日本の若い人たちが海外に行ってまず驚くのは、例えば、アメリカ人であれば、多くの人が聖書を読んでいる。皆が自分たちの国の歴史を知り、バックグラウンドを知っているわけです。ところが、日本の起源はどうなっているの? と聞かれても日本人自身が答えることができない。

 そういう状態で日本に戻ってきて、慌てて歴史教科書を調べてみるんだけど、『古事記』や『日本書紀』については、ほとんど触れられていません。神話を全否定していて、わたしはこれが戦後の教育で一番の問題だと思っています。

 ―― そこが宮﨑さんの原点になっているわけですね。

 宮﨑 ええ。アメリカの歴代大統領は、就任の宣誓の時に、聖書に手を置いて誓うわけですよ。しかし、日本の歴代首相が古事記に手を置いて誓ったのかといったら、明治の近代議会政治以降、そんなこと一度もありません。ですから、いずれは書かなければならないテーマだと思っていました。

 以前から、古事記の舞台を歩きたいと考えていました。これまで数多くの国々へ取材に出かけましたが、この2年はコロナ禍で海外への渡航ができなくなりました。そういうことで、古事記の舞台を巡る2年に亘った旅が始まりました。

続きは本誌で

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