2022-04-25

【新社長登場!】SOMPOホールディングス・奥村幹夫社長「サッカー、転職した投資銀行など、全ての経験が経営者としての生き方に参考に」

奥村幹夫・SOMPOホールディングス社長グループCOO



投資銀行に身を置き資本市場の厳しさを経験


 ─ ところで奥村さんは2006年に一度会社を辞めて、投資銀行に転職しましたね。この時の思いを聞かせて下さい。

 奥村 そこにつながった1つのきっかけは01年9月の米同時多発テロです。それ以降、米国の事業再建に取り組んだ後、日本に帰国して経営企画部の課長に就きました。

 その頃、日本の人口減少が進んでいましたから、海外に出て行くのが合理的だと考えていたのですが、当時の中期経営計画では、その結論に持って行くことができませんでした。会社の方向性と私の思いに少しギャップがあり、悶々とした思いを抱える中でご縁があり、3年間投資銀行に身を置きました。

 ─ この投資銀行での経験はどう生きていますか。

 奥村 その3年間がなければ、私は今、ここにいないと思います。全ての経験、そこで出会った方々は、今につながっているのだと思います。その投資銀行は上場していましたが、従業員は数十人でしたから、経営の意思決定の速さは、私がそれまで経験したことのないものでした。

 一方で、在職中にリーマンショックが起き、その前後で全く違う事業環境になりました。転職して1年くらいは全く問題なくできていたのが、リーマンショックが起きた瞬間、お金がさーっと消えました。資本市場の怖さ、激しさのようなものを経験することができました。

 ─ この時に、損保ジャパンに帰って来いという人がいたということですか。

 奥村 本当にそこは感謝しなければいけないと思っています。投資銀行の方からも温かく送り出していただきました。

 その時、SOMPOグループも新しいマネジメント体制になっていましたが、リーマンショックで資本市場からお金が消えていく中、もう一度海外事業に注力するという方針を打ち出していました。その第1弾が、先程お話したブラジルの保険会社買収だったんです。

 ─ 奥村さんは学生時代にもブラジルに留学したことがあったとか。

 奥村 そうです。学生時代に留学しました。安田火災に入社後、若手時代に南米安田保険という子会社に赴任しましたから、ブラジルは3度目でした。

 ─ ブラジルとは縁があるんですね。サッカー留学はいつ頃ですか。

 奥村 1987年のことです。私は当時、筑波大学でサッカーをしていたのですが、1年間働きながらブラジルを学ぶという日本とブラジルの青少年を育成する団体の留学制度に応募しました。日本にはまだJリーグがない時代でしたが、ブラジルではサッカーは職業でもあります。そこでサッカーをしながら語学の勉強をしたのです。

 サッカーは全然通用せず、怪我もしましたが、非常に大きな経験となりました。ブラジルには約150万人の日系人の方々がおられ、最大のコミュニティを形成しています。

 その日系人の方々がブラジルに行かれた歴史的背景やご苦労、彼らが築かれた基盤によって、私達日本人が現地で高い評価をいただけていることなどに関心を持ちました。帰国して就職する際の判断基準の1つに、ブラジルで働けることを置いており、それが安田火災を志望する動機にもなりました。

 ─ サッカーは奥村さんの原点になっていますね。高校はどちらだったんですか。

 奥村 埼玉県立大宮高校です。当時は浦和勢が強く、私も浦和の高校に行きたかったのですが、私が入学する前に筑波大学サッカー部の1期生で、キャプテンを務めて大学院を出た方が大宮高校に赴任してきたんです。その方が非常に科学的な指導をするということを知り、土壇場で志望校を変更しました。

 高校時代にも何度か大きな怪我をしたのですが、どうしても日本一になりたいと思っていました。当時、大学で強かったのは筑波大学と早稲田大学で、先生に相談したところ、母校である筑波がいいと。同期には名古屋グランパス監督の長谷川健太、後輩には柏レイソルヘッドコーチの井原正巳、ジュビロ磐田コーチの中山雅史がいます。

 ただ、大学でも怪我が治らず、先程お話したようにブラジルでも怪我をしましたから、少し残念な形での帰国となりましたが、それらが全てご縁としてつながって、この会社でお世話になることになりました。

データを扱うのも「人」


 ─ 改めて、SOMPOグループをどのような会社にしていきたいという思いを持っていますか。

 奥村 保険を祖業、主業としてやってきていますが、お客様から信頼いただくことは、今後も大事にしていきたいですね。

 一方で、お客様のニーズ、社会の変化に柔軟に対応して、そのご期待に応え続ける会社でありたいと思っています。常に進化し続けて、その結果、社会からも「この会社は必要だ」という会社であり続けたいのです。

 ─ データを生かしていくというお話でしたが、データと「人」の関係をどう考えますか。

 奥村 私はデータを使うのも「人」だと考えています。主業である保険は「安心」という無形のものをお届けする商品です。そこではデータでできること、デジタルテクノロジーでお客様とつながる機会は、さらに増えていくと思います。

 ただ、最後はやはりお客様の表情を見て、不安なのか、喜んでおられるのか、ご理解されているのか、納得されているのかといったことを判断する上で、代理店様も含めた、我々グループの「人」の役割は非常に大きいと思っています。グループの中でデータも信用も大事ですが、それを使うのは「人」ですから、人材は最大のアセットだと思っています。

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