2022-05-10

自分の身だけでなく人類のためを…【早大総長・田中愛治】が語る『新・大学論』

田中愛治 早稲田大学 総長

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正解のない時代をいかに生き抜くか─。「今、ウクライナのことを考えて、そういう立場になっている人の気持ちを慮ってほしい。そして解決策をしっかり自分の頭で探ってもらいたい」と学生たちに、“しなやかな感性”、“たくましい知性”、そして“響き合う理性”の重要性を訴えるのは早稲田大学総長・田中愛治氏。今年2022年は、創立者・大隈重信が前身の東京専門学校を設立してから140年、そして大隈没後100年という節目に当たる年。大隈は「一身一家、一国の為のみならず、進んで世界に貢献する抱負が無ければならぬ」と説いた。田中氏は2018年11月総長に就任して3年半。この間、偏差値を私学トップに持ってくる実績をあげたが、「それは表面的な物差し。本当に実力をつける教育を提供できるようにしていく。これからも学生に自らの学習効果が上がる教育プログラムを提供できるかどうかが問われる」と気を引き締める。東京大学に続き、日本医科大学とも提携するなど、“開かれたWASEDA”を推進。今年9月総長として2期目に入る田中氏の早稲田改革とはー。

本誌主幹
村田 博文

<画像>幕末の〝佐賀藩〟出身って知ってた?!早稲田の創設者【大隈重信】

ロシアのウクライナ侵略に教育者として思うこと

 早稲田大学は13学部を抱え、学部学生は約4万人、大学院生を含めると5万人近い学生数。このうち、留学生数は約8000人と、世界各国・各地域から〝早稲田の杜〟に集まってくる。

「はい、短期も入れて8000人。1年間の交換留学が2000人で、3500人が学位を取得する人たちですね。学士か修士か博士号の取得です。だから5500人が正規の科目登録をしている。2019年、コロナ危機の前まで、5500人いたんですが、残りの2500人が短期なんですよ。6週間とか2カ月という期間での留学ですね。短期でない人だけでも5500人にのぼります。この中でロシアから早稲田への留学生は17人です。ウクライナからは3人。3人とも身の安全は確認できているんですが、ご家族の安否は分からない。留学生が家族を呼び寄せたければ、相談に乗るように留学センターには指示をしています」

 早稲田大学総長・田中愛治氏は、今回のロシアによるウクライナ侵略に関連して、留学生の状況をこう話す。
 田中氏は、ロシア、ウクライナ両国から来ている留学生の心情に思いを馳せ、次のように語る。
「ロシアの留学生で、この侵略をいいと思っている者は、おそらくほとんどいないだろうと。大学で学んでいる者、それも海外に出て勉強する者は、自分の祖国がやっていることとして、これはまずいことだと思っています。ウクライナの留学生たちは家族のこと、祖国のことを案じて、つらい思いをしています」

 早大では3月25、26の両日、卒業式を執り行った。田中氏は卒業生を前に、「ウクライナから来ている学生はどんなに心細いでしょうか。それを皆さん思いやっていただきたい。それからロシアから来ている学生は、祖国をどんな思いで見つめているでしょうか。自分たちロシア人が、他の国の人たちからどう見られているか不安に思っているのではないでしょうか。そういうことを皆さん考えて、それぞれの立場を思いやっていただきたい」と語りかけた。

 そして、今回のロシアによるウクライナ侵略について、「ウクライナで起きていること、人権侵害、殺戮を見ていると、もう義憤や悲しみが湧いてくる。それをなぜ直ちに止めることができないのか。止めることができない歯がゆさを感じている」と心情を吐露。

 侵略を止めることに直接貢献できない無力さを痛感していて、非常に残念だという心情を話した後、田中氏は教育者としての立場から、「早稲田で学んだ者は、誰一人、人としてならないこと、人の道に外れることはしないように」と創立者・大隈重信の言葉を引いて語りかけた。

『一身一家、一国の為のみならず、進んで世界に貢献する抱負がなくてはならぬ』─。

 早稲田大学の創設者で初代総長を務めた大隈重信(1838―1922)が同大創立30周年の式典の際、述べた言葉。
 この式典には、世界中から百有余の有名大学の代表者が参列、あるいは祝辞を送ったとされる。
 大隈は、『学問の独立』、『学問の自由』を標榜しており、「学術は世界共通のもの。真理に国境なし、真理は共通」と式典でも協調した。
「模範的国民とならんとすれば、知識のみではいかぬ。道徳的人格を備えなければならぬ。而して一身一家一国のためのみならず、進んで世界に貢献する抱負が無ければならぬ」と大隈は説いたのである。

 鎖国の江戸末期から、開国、そして明治維新と時代が大きく変わる中を生き抜いた大隈。また、日清、日露の両戦争も体験し、外相、首相として欧米列強との交渉にも当たってきた大隈は〝人の生き方〟を考え、そして〝人づくり〟に尽力した。
 その大隈は1922年(大正11年)、83歳の生涯を閉じた。

それから100年経った今年、ロシアによるウクライナ侵略の勃発である。

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本誌主幹 村田博文

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