2022-05-12

【システム障害からの出直し】みずほFG社長・木原正裕は「企業風土改革」ができるか?

木原正裕・みずほフィナンシャルグループ社長



日本のシンジケートローン市場を開拓して…


 木原氏は1965年8月東京都生まれ。89年一橋大学法学部卒業後、日本興業銀行(現みずほ銀行)入行。父の誠一郎氏は東京銀行(現三菱UFJ銀行)出身、祖父の通雄氏は第一銀行(現みずほ銀行)取締役、高祖父の頼三氏は諫早銀行頭取を務めた銀行一家。弟の誠二氏は財務省を経て衆議院議員。現在は内閣官房副長官を務める岸田文雄首相の最側近だ。

 興銀への入行は「生命保険会社や商社など、いろいろな企業を見た中で興銀の産業金融、就職活動の中で出会った先輩方にも惹かれた」と志望の動機を振り返る。

 小学生時代、父の誠一郎氏が赴任していた米国で始めたのが「氷上の格闘技」とも言われるアイスホッケー。大学まで続けて主将も務めた。「強豪校とは違い、そこまで肉体派でなくてもできた」と笑う。

 アイスホッケーを通じて「先輩・後輩の絆やチームワーク、いろいろなことを最後までやり遂げることの大事さ、めげないこと、胆力など精神は鍛えられたのではないかと思う」と話す。

 若手時代を振り返って「昔は『俺の背中を見て学べ』という先輩や、厳しい先輩も多かったが、これまで新しいことをやらせてもらったという意識が強い」と話す。

 木原氏は02年からシンジケーション部に所属し、日本のシンジケートローン市場・ローンセカンダリー市場の育成に取り組んできた。「当時、ほとんどゼロだったシンジケートローンマーケットを拡大させるために社内、投資家に説明して回り、新しい枠組みをつくることができた」(木原氏)

 新しい領域を開拓するのは難しい仕事だが、その中で成長することができたという実感が木原氏にはある。その意味で、みずほを「新しいことをつくっていく会社に変えたい」という、今の木原氏の考えに通じる経験だと言える。

 結果的に、みずほFG社長は旧興銀出身の木原氏、会長は旧第一勧業銀行出身の今井誠司氏、みずほ銀行頭取は旧富士銀行出身の加藤勝彦氏と旧3行がポストを分け合う形になったが「出身行がどこかということは、我々は気にしていない。適材適所でしかやっていない」と木原氏は強調。

 メガバンクで初めての「平成入行社長」ということも注目されるが「あわよくば、もう少し後で社長になれた方がよかったと自分では思う。ご挨拶に行くと皆さん年上で、プレッシャーに感じる部分ではある」と本音を吐露する。まさに「緊急登板」であることがわかる話。だが「それも天命。選ばれたのだからやるしかない」と覚悟を決めた。

 信条にしているのはピーター・ドラッカーの「企業文化は戦略に勝るほど重要だ」(Culture eats strategy for breakfast)という言葉。

「戦略はつくるけれども、変化の激しい時代だけに、個人の気づきが、その構築に重要。そして悪い情報が組織に閉じ込められる事態を回避したい。そうした自律的ガバナンスが必要。心底そう思っている」

 木原氏に託されているのは、まさに「心機一転」での出直し。「やらなければならないことは3つ。第1に信頼回復、第2にこれまで進めてきた5カ年計画での取り組みの前進と、課題があるものに手を打つこと、第3にDX、SX時代に我々が提供できる価値は何かを考えていくこと」

 取り組みを進めていくためには、社員と思いを共有することが必要で、その意味でも前述のように企業風土改革は必須。

 社内やOBからは「上司からも部下からも信頼が厚い」と評される木原氏。その信頼を背景に、これからの厳しい時代に向けた決断ができるかどうか。今後はその真価が問われることになる。

Pick up注目の記事

Related関連記事

Ranking人気記事