2022-05-18

【役員37人抜きで就任】損保ジャパン・白川儀一社長が考える「本当に顧客のためになる損害保険」とは?

白川儀一・損害保険ジャパン社長



ソフトテニスに打ち込むため一度退社、そして復帰へ


 ─ 白川さんはソフトテニス(軟式テニス)に打ち込んできたそうですが、いつから始めたんですか。

 白川 小学生からです。大学まで続けて全国大会、世界大会で3位に入ることもできました。

 ─ このソフトテニスに打ち込むために、一度会社を辞めたそうですが、これは非常に難しい決断でしたね。

 白川 そうですね。ありがたいことに実業団チームに誘っていただいたんです。2003年のことでした。当時の人事課長が、今の損害保険ジャパン会長の西澤敬二だったのですが、当時その西澤と3日間にわたって話し合いを続けていました。

 私は「辞めます」と言い、西澤が「何で会社を辞めるんだ」という会話の繰り返しでした。最後、私は「実業団でソフトテニスの選手としてやっていきます」ということで会社を辞めていったわけです。

 ただ、残念ながら実業団に入った後、左足首を怪我してしまい、選手として競技を続けていくことができなくなってしまったのです。

 ─ そこから、もう一度会社に戻ることになるわけですが、誰かに相談しましたか。

 白川 いえ。ただ、自分の中には、先程申し上げた「人に信頼されたい」という思いは変わらずありましたし、「世のため人のための事業に携わりたい」という信念を持っていました。

 また、会社は辞めましたが、安田火災、損保ジャパンの人材力、上司や先輩、同僚、後輩にいい人が多いということには惚れ込んでいました。最後にはありがたいことに、ある方から「会社に戻ってきなよ」と誘っていただいたのがきっかけでした。

 一度、会社を辞めた人間を呼び戻すという度量の大きさを感じました。そうであれば戻らせてもらおうと。

 もちろん、自分のワガママで辞めていきましたから、どんな顔をして戻るんだ、といった恥ずかしさは少しありました。しかし、一定の勇気を持って戻ることができたことは、その時もそうでしたし、今考えてもありがたいですし、嬉しいですね。

 ─ 人生の縁が感じる話ですね。ちょうど働き盛りの時に会社に戻ったわけですが、どういう気持ちで仕事に向かいましたか。

 白川 当時、会社に再入社して配属されたのが富山支店でした。その支店長を務めていたのが西澤だったんです(笑)。

 ─ 面白い縁ですね(笑)。何か言われましたか。

 白川 いえ、ほぼ何も言われていないに近いですが、一言「戻ってきたんだな。仕事頑張れよ」ということを言われたと記憶しています。

 ワガママを言って辞めて、また戻していただいたことを仕事、結果でお返ししなければいけないという思いで、一生懸命に取り組んできました。

 ─ 社員に向けて、どういうメッセージを送っていますか。

 白川 まず担当者は1人ひとりの個性、強みをさらに磨いて欲しいと言っています。そしてマネージャークラスは、その個性、強みを束ねて生かすためのマネジメントを学んで欲しいと。

 私は『里見八犬伝』と同じだと思っています。「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」と、1人ひとりキャラクターは違いますが、この8つの玉を持った人達の個性を生かして、1つの目標に向かう。私どもも、みんなの個性、強みを生かして、目標に向かっていきたいと思います。

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