「子供の人生は子供のもの」
私は妹と2人兄妹ですが、どちらも母から「ああしなさい、こうしなさい」と言われたことはありません。2人に対して無条件の愛情を示してくれるとともに、自主性に任せてくれました。私が、感謝の気持ちや自己肯定感を強く持っているのは母のおかげだと思っています。
小学生時代の私は学級委員を務めるなど、いわゆる「いい子」だったと思います。放課後に友人達と遊ぶ際には中心にいるようなタイプで、野球や、当時の小学生の間でブームになった「酒蓋集め」にも熱中しました。
中学は、受験をして桐朋中学校に進みました。どうやら母は三多摩地区で育ったこともあって、桐朋にいいイメージを持っていたようです。母から強制されたわけではありませんが、うまく誘導された感じです(笑)。
中学に入学してからは高校受験がないこともあり、友人達と遊んだり、部活動でバドミントンに熱中したりと、のびのびと過ごすことができました。
学校には学食もありましたが、多くの場合は母が毎朝つくってくれたお弁当を持っていっていました。おかずが充実していたので、毎回食べるのが楽しみだったことが思い出されます。
この時期は反抗期であることが多いのだと思いますが、確かに会話の量は減ったものの、母に強く反発するという感じではありませんでした。この間、父が単身赴任をしていた時期もあり、それも結びつきを強くした面もあったかもしれません。
大学進学について母からも、父からも何かを言われたことはありません。ただ、1年間浪人をしましたから、その時間をもらえたのには感謝しています。
入学した東京大学では法学部で学びましたが、この原点は中学時代にありました。社会科見学で裁判所を訪れた際、刑事事件の裁判を傍聴することができたのです。その事件の被告には複雑な背景があったのですが、それを弁護する弁護士の姿を見て、大事な仕事だと感じた記憶があります。
ただ、入学後に法律の授業を受けてみて、法哲学などは面白かったのですが、法手続きに関するものなどは細かくて肌に合いませんでした。幸い、東京大学は教養主義で、1年生、2年生は幅広い学問を学ぶことができましたから、そこで倫理学などに触れることができました。
それらの授業の中で出会ったのが、フランスの哲学者・ジャン=ジャック・ルソーの『社会契約説』から派生した『保険説』です。これが就職活動の際に生命保険会社を志望しようと思ったきっかけでした。
職業選択についても、特に親に相談をすることはありませんでしたし、両親からは「頑張りなさい」と言われただけです。両親ともに、「子供の人生は子供のもの」という姿勢が一貫していたと感じます。
母の影響からか、私は自分の娘に19年間、「おうちに生まれてきてくれてありがとう」という言葉をかけ続けています。娘にも親のことを心配せずに、「自立した個」として生きて欲しいと願っているのです。
明治安田生命では、生命保険の契約者が保険金受取人である家族に残すメッセージを生前にご登録いただく「エピローグ・レター」というサービスがあり、自分自身も、娘に言い続けている感謝のメッセージを登録しています。
現場の会議などに行くと、そんな逸話も交えながら、私は従業員に「あまたある会社のなかから、明治安田生命を選んで入社してくれて、そして今こうして頑張ってくれていて、本当にありがとう」と心から感謝の気持ちを伝え、頭を下げます。
社内外の若い人に話す機会があると、「築く幸せ」と「気づく幸せ」といった話もします。向上心と努力で「築く幸せ」と、ご縁や出会いに感謝したり道端の名もない花の美しさに心惹かれるといった「気づく幸せ」。この両方があってこその幸せではないか。
さらに言えば、若いうちは「築く幸せ」に比重があり、年齢を重ねるごとに少しずつ「気づく幸せ」に比重が移っていく。そんなところに「個」としての幸せがあるのかもしれないといった話です。