2022-05-25

コロナ後をにらんでの都市づくり【森ビル・辻慎吾】オフィスの使命は変わらない論

森ビル社長 辻 慎吾

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変わるものと変わらないものを見極めて

 辻氏は1960年(昭和35年)11月生まれの62歳。88年(昭和60年)、横浜国立大学大学院工学研究科修了後、森ビルに入社。2011年(平成23年)6月、東日本大震災が起きて3か月後、同社2代目社長森稔氏の後を受けて社長に就任。51歳の若さであった。

 入社して37年。この間、バブル崩壊、リーマン・ショック、大震災と数々の経済危機に見舞われる中、数々の街づくりを体験してきた。

 環境の変化、時代の変化に対応しながら、街づくりの進化をどう図っていくのか?
「きちんと考え方の軸を持ったうえで進化させていくことが大事」と辻氏は、次のように続ける。
「軸がぶれると駄目になる。進化ばかり追いかけていると、先ほどの変わるものと変わらないもの、ということで言うと、大体みんな変わる方に目が向きがちになる。変わっているときこそ、変わらないものは何だと考えるようにしています」

 変わるものと変わらないものの見極めが大事だということ。

 中長期の視点で事業に当たっていると、いろいろな出来事が起きる。
 辻氏が社長に就任した翌年(2012年)には、森ビルの実質創業者である前社長・森稔氏が亡くなった。辻氏の心理的な負担も大きかったはずである。
「ええ、森がその年に亡くなり、森ビルにとっては激動の数年間ですね」と辻氏は当時を振
り返る。「東日本大震災が起きた直後だし、アベノミクスの前ですから、経営環境としては結構厳しかった。その前に、リーマン・ショック(2008年)がありましたし、不動産環境も随分厳しい時代だった。その厳しい時代をいろいろと経営努力をして、いろいろなものをつくって乗り切ってきた。それを乗り切ることができて、今はどんどん投資をしているという形ですね」

想定外要因が多い中「自分たちの使命は何か」を

 都市開発、街づくりは長い開発期間を要する。アークヒルズや六本木ヒルズはどちらも約17年の年月がかかった。
 土地の所有者や開発権利を持っている人たちを一軒一軒訪ね、その地区の開発目的とビジョン(構想)を説明し、話し合う。そうして納得してもらうには、それ相応の歳月がかかる。『虎ノ門・麻布台』の再開発については、関係者の合意を得て最終決着を見るまでに約30年かかった。

30年も話し合いを続けていると、先方の多くも世代替わりして、当初の話し合いとは異なる事情も生まれてくる。デベロッパー界の〝常識〟では、そのプロジェクトを中止するか、当初計画を分割して実行するかのどちらかである。
「ええ、止めるか、分割してやるかですね。再開発できる所とできない所に分かれますから
ね」と辻氏。

 それが30 年間も、お互いに辛抱強く対話を続け、最終合意にこぎつけられた要因は何か?
「それは2つあって、こういう街をつくりたいと。都市には、ことに東京にとって、こういう街づくりが必要なんだという考え。もう1つは、森ビルだけが開発をやっているのではないのだと。虎ノ門・麻布台には300人位の地権者がおられて、彼らの人生とか資産とかについて全部責任を負っているんです。みんなの問題なので、それに思いを致して話し合うと。だから、多分30年間話し合いを続けてこられたのだと思います」

 その地区の人たちとのコミュニケーションの深化によって築かれた信頼関係がプロジェクトの基礎になっている。
 これからも多くの危機が押し寄せることが予想される中、どういう基本姿勢で臨むか?
「自分たちは何の会社なのか、自分たちは何でビジネスをしているんだということを絶えず考えていくことが大事だと」

 辻氏が続ける。
「そこを押さえておいて、そのビジネスが長く続けられるのであれば、危機の中でも、そこのベースはいじらなくていいんだけれども、それが駄目になるとすると、ベースそのものを変えていかなくてはならない。それをずっと見極めています。多分、この先も見極めていかないと」
 世界の都市間競争に勝つとか、勝たなければいけないということを、自分たちは肌身で、「現場で感じている」と辻氏。
 緊張感を伴いながら、やり甲斐のある仕事が続く。

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本誌主幹 村田博文

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