2022-06-12

「手本のない時代」をどう生き抜くか?【私の雑記帳】

手本のない時代を

 手本のない時代をどう生き抜くか─。コロナ禍、ロシアによるウクライナ侵攻は改めて、国とは何か、また個人はどう生き抜くかを考えさせる契機となった。

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 明治維新は、鎖国・日本を開国へ導くきっかけとなった。国境を閉じて、一国だけで生きるという道から、諸外国に門戸を開く。つまり開国へと国の体制は大きく転換した。

 そのとき、日本には欧米、特に先進国のヨーロッパに学ぶという手本があった。

 遣欧使節団の派遣で、鉄道、港湾などの社会インフラ整備から、教育、そして何より国のあり方を示す憲法などを欧州の先例から学び、日本に取り入れていった。

 福澤諭吉は『学問ノススメ』を著し、国民の啓蒙・啓発に尽力。慶應義塾を設立した。大隈重信は維新政府の幹部として働き、首相も務めた。そして早稲田大学(設立当初は東京専門学校)を設立、人材育成に努めた。

 国立の大学ではなく、民間人の手で大学を創るという気概。文字通り、民の力を増すことが国力の増強に、という福澤、大隈など当時のリーダーの思想、考えであった。

隣国・中国との関係

『欧米に追い付き、追い越せ』でやって来て150年余が経つ。

 開国(1868)から先の大戦での敗戦(1945)まで77年。そして敗戦から今日までが77年という区切りである。

 前半の77年間で国力を高めた日本は工業国としても地歩を固め、日清・日露戦争で勝利。そして太平洋戦争(第2次世界大戦)へと突き進み、敗戦国となる。

 戦後は、自由、民主主義、そして法の支配という価値観を中心にした国づくり。敗戦から23年が経った1968年(昭和43年)には当時の西ドイツを抜いて自由世界第2位の経済大国になった。

 世界はその後、大きく回転し、1991年、旧ソ連邦が崩壊。その2年前には『ベルリンの壁』崩壊が起こり、東西両ドイツが統合され、そのドイツでは旧東ドイツ出身のメルケル首相が昨年12月まで同国の運営を担った。

 またこの間、中国の台頭も著しく、2010年には日本を抜いて世界第2位の経済大国となった。

 世界は常に揺れ動く。この中国との関係をどうしていくかも、日本にとっては大事なテーマ。

 今年は日中国交正常化(1972)から50年という節目の年。社会主義国として台頭してきた隣国の中国とどう向き合うか─というテーマに取り組んだのが田中角栄首相(1918―1993)。

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