2022-06-29

みずほ銀行頭取・加藤勝彦の「現場行脚」「お客様を知るために行動して欲しい」

加藤勝彦・みずほ銀行頭取



「9.11」で犠牲になった仲間の分まで…


 加藤氏は1965年5月愛知県生まれ。88年慶應義塾大学商学部卒業後、富士銀行(現みずほ銀行)入行。前述のように13年ハノイ支店、
18年執行役員ソウル支店長など海外事業を経験した後、20年常務執行役員。

 当初は21年4月に頭取に昇格することが決まっていたが、2月に発生したシステム障害を受けて、昇格人事が「凍結」、さらには「白紙撤回」される事態となり、21年4月から副頭取に就任し、当時頭取の藤原氏を支えて活動することになった。

 自身の処遇も見えない中、顧客対応や従業員との対話を繰り返す日々だったが「自分のすべきことをしてきたつもり。この1年が私にとっては大事だったということは間違いない」と振り返る。

 加藤氏は愛知県で米店を営む家に生まれた。中学、高校と東海高校で学び、部活は剣道に打ち込み、3段を取得。「当時は周りには同じように実家が商売を営んでいる人間が多かった」と振り返る。

 大学で商学部を選んだのも、「商売をやりたい」という思いが強かったから。当初は商社志望だったが、就職活動の過程で訪れた富士銀行で出会った先輩に魅了されて、入行を決めた。他行は見ることなく、銀行で訪問したのは富士銀行だけ。「いい人達と働きたいという気持ちが強かったが、そういう人と巡り会えたことが大きかった」

 自身にとって、忘れられない記憶は「9.11」、アメリカ同時多発テロ事件。加藤氏の同窓、同期、共に寮で過ごした人達が被害に遭い、みずほの行員は23人が犠牲になった。「日本経済のために海外で働いていた彼らの思いを引き継いで仕事をしているつもり。この思いを大事に、今後も語り継いでいきたい」

 その意味で、今後は頭取として、自身が積み重ねてきたアジアを中心とする海外経験を生かす考え。「日本企業は海外に活路を見出さないと成長余地が限られる。その時に銀行は、それをサポートする機能を大いに持ち合わせている。それを発揮することで日本企業の発展、経済への貢献ができる業種。この機能は強めていきたい」

 加藤氏はアジア通貨危機、 リーマンショック共に海外勤務中に経験、何事にも〝絶対〟はないことを実感した。仕事をしてきた4カ国も、それぞれに国情が違い、ビジネスをしていく上で注意すべきことも変わってくる。それを肌で感じていることは、今後アジア圏で成長を求める上で大きいと言える。

「アジアの国々には共通して日本に対するリスペクトがあり、お役に立てる。ファイナンスだけでなく、我々がいることによって日系企業が進出できて、そこで雇用を生むこともあるし、今のグリーン化にしても、我々が日本の技術を紹介し、そこにファイナンスを付けることもできる。我々はそこに大いに貢献ができると考えている」

 足元でコロナ禍は小康状態が続いているものの、ロシアのウクライナ侵攻など、外部環境は混沌とした状況が続く。こうした状況に対しては「メインシナリオ、サブシナリオ等複数のシナリオを作成している。リスクを見極めながら取り組む1年になる。銀行が健全でなければ、お客様をお支えすることはできない」

 日本ではマイナス金利も含め、長きにわたり低金利環境が続く。経済環境もまだら模様で、その中で貸すことの難しさもあるが、その中で新たなスタートアップを含め、リスクを取って融資をしていくことも求められる。企業を見る「目」と、システム障害への備え、いずれも現場力が問われる。

 新たな金融の姿を見据えながらの、みずほ銀行の再出発である。

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