2022-07-17

「解のない時代」に求められるものとは?【私の雑記帳】

強さと優しさ


『強くなければ生きてはいけない。優しくなければ生きていく資格がない』─。

 作家のレイモンド・チャンドラー(米国)の小説に登場する探偵が口にする言葉。

 難題に直面しながらも、それにひるまず課題解決へ向かって立ち向かうタフな探偵。強靭な精神を持つ者が同時に〝優しい心〟を併せ持っているということ。

 強さと優しさ。どんな仕事でもリーダーに求められる条件ではないだろうか。一見、相対立する2つの要素だが、両立あるいは共存してこそ意味があるのだと思う。

 ビジネスの世界でも、上司との関係で、「厳しい人だが、部下思いの所がある上司」といった評価もよく聞かれる。

 要は、生きていく上での均衡感、バランス感覚ではないだろうか。

全体感が求められる時代


 そのバランス感覚が崩れたのが今回のロシアによるウクライナ侵攻であろう。

 ロシアがウクライナに侵攻したのは今年2月24日。欧州や米国、日本など自由主義諸国はロシアへの経済制裁を科し、ロシアに即時停戦を呼びかけるが、侵攻から4か月経とうとしている今、プーチン大統領はウクライナ攻撃を止めようとしない。

 なぜ、ロシアはこれほどの残酷な侵攻を続けるのか?  と欧米・日本など西側諸国は思う。そしてさらに制裁を科す。

 一方、そうした制裁に『反対』するのが中国や北朝鮮。インドなどは『棄権』に回るなど、国連レベルでも、その対応は国によって違う。何とも複雑、多面的な国際状況の中で、どう生きていくかという命題である。

 解のない時代、あるいは解が1つではない時代と言ってもいい。こういう時代こそ、全体感、全体知が求められる。

寺島実郎さんの分析に


 本号では、寺島実郎さん(日本総合研究所会長、多摩大学学長)に『ウクライナ危機の本質』について語ってもらった。そのキーワードはギリシア正教である。

 ロシアの原型とされるキエフ・ルーシ(公国)のウラジーミル大公がビザンツ皇帝(バシレイオス二世)の妹との婚姻を機に、ギリシア正教の洗礼を受けた時(988)を起点に、寺島さんの歴史認識と現状分析、そして今後の展望を語ってもらった。

 ギリシア正教からロシア正教が派生。ビザンツ帝国(東ローマ)と絡まって、欧州や米国、そしてロシアや旧東欧諸国の社会の底に流れる宗教や価値観を含めて、日本人の我々も考えさせられる、ずしりと肝に染みる寺島さんの分析である。

日本の選択は?


 米国の利上げで、グローバルな資金の流れが変わり、途上国から米国へ資金が逆流し、同時に株価下落などの混乱が起きている。

 日本は日本銀行がゼロ金利政策と金融緩和を維持しており、〝超円安〟状況が続く。

 電気・ガス料金も上がり、食料品、雑貨類など全領域で値上げの動きが強まる。超円安は、輸入に頼るエネルギー・食料の値上げを一層加速させる。超円安はどこまで続くのか。金融市場の混乱がこのまま続けば、恐慌前夜に突入するという見方も出てきた。

 今後、景気後退はあり得るのか。あるとすれば、どういう動きになるのか?

 ソニーフィナンシャルグループのチーフエコノミスト、菅野雅明さんは〝実質金利〟をキーワードに、米国の潜在成長率との関連で「これから少し減速すると思いますが、例えば年内に米国の景気が後退する局面はまだかなり低い」と語る。

 緊張感のある日々が続く。

覇気を取り戻すには


 それにしても、日本は〝失われた30年〟といわれて久しい。賃金も1997年のデフレ経済に突入して以来、ほぼ横バイ。1人当たりのGDPではシンガポール、香港にすでに抜かれている。

 スイスのビジネススクールの調査によると、日本の競争力では世界31位に転落。かつて1989年から1992年まで世界1位とされた日本だが、その凋落は著しい。

 こうした流れをどう見るか?

「僕はやはり先進資本主義の競争の中で負けたんだと思います。1990年代初めまでは勝ち組だったのだけれども、負け組に転じてしまい、勝ち方を忘れてしまった」

 オリックスのシニアチェアマン・宮内義彦さんはこう語り、「日本が戦後復興した最も大きな原動力はものすごく働いたことだと思うんです」と述懐する。

宮内義彦さんの提言


「これは、戦後復興という思いが国民みんなの共感としてあった。それでなおかつ工業でそれが共感された。工業というのはみんなで働かないとできない」と宮内さん。

 いわば、敗戦という現実の中で、危機感を持って、国民全体が働いたということ。

 工業主体の時代から、知識集約化の時代へと変わり、今はデジタルトランスフォーメーション(DX)の時代である。

「アメリカは1980年代の苦しい時を経て変わっていった。完全にソフト産業ができて、ついにGAFAまでつくって世界を席巻している。それだけのダイナミズムがあった。日本は唖然として、茫然として今日まできたんじゃないですか」

 では、どうするか?

「基本的には日本の官僚社会を変えることだと思います。日本は行政も官僚社会だし、大企業も全部官僚社会になっているんです。日本がつくり上げた今の社会をじっと見ると、真ん中は全部官僚社会になっているんです」

 1人ひとりが自分の立ち位置を使命を見直すときである。

小林哲也さんの人生


 帝国ホテル前会長で特別顧問だった小林哲也さんが6月末、特別顧問を退任された。

 小林さんは終戦の1945年(昭和20年)生まれ。1969年に帝国ホテルに入社し、以来53年が経つ。帝国ホテルをこよなく愛するホテルマン一筋の人生である。

 帝国ホテルは1890年、文明開化がいわれる明治23年にオープン。欧米に追い付け、追い越せの時代。時の外相、井上馨の声がかりもあって、国を代表するホテルとしてオープンした。

 それだけに、いろいろな出来事や話題で帝国ホテルは取りあげられた。世界的女優のマリリン・モンローが野球選手のジョー・ディマジオとの新婚旅行で同ホテルに宿泊したことも有名な話。

 1960年代にビートルズ来日の際は、ホテルが混乱するのを避けて、当時のトップがやんわり宿泊を断ったという話も伝わる。

「新入社員の仕事はトイレ掃除から始まりました」と語る小林さんのホテルマン人生。社長、会長を務めた人の人生を顧みると、実に味わい深い。

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