故・堺屋太一氏への思い
─ 2025年に大阪・関西万博が控えていますが、この仕事に携わっていた故・堺屋太一さんと垣内さんはご縁があったそうですね。
垣内 堺屋さんは前回の大阪万博に携わったこともあり、万博への思いはひとしおでした。大阪を元気づけ、新たなシンボルを発信することが大事だという思いを持っておられました。
前回の大阪万博で堺屋さんが手掛けた「点字ブロック」は、ここから世界に広がりました。ですから25年の万博も、同じように世界にインパクトを与えることができるだろうと。堺屋さんが描かれた25年の万博でみたいと思っていたものを、残念ながら見ることが叶わなかったわけですが、「こういうことを世界に示しました」という万博になるといいなと思っています。
私は企業経営に携わる身であると同時に、障害者という当事者でもありますから双方の視点に立ちやすい立場にもあると思います。その使命を持って、大阪万博にも臨んでいけたらいいなと思います。
─ ミライロを設立してから、自身を取り巻く視線の変化をどう感じますか。
垣内 私は周囲からの温かい姿勢を感じることが多くなりました。ただ、それは私や私の弟の話であって、明治の先祖はそうではなく、外に出れば石を投げられるような状況でしたし、そもそも働くことも、学ぶことも叶いませんでした。
しかし、私は車椅子に乗れて、学ぶことも働くこともできるというありがたい生活を送ることができています。これは先人の皆さんがバリアフリーなど社会インフラを整えてきてくれたからに他なりません。
先人の皆さんが築いてくれた社会を、いかに次世代に残していけるか。何よりも日本は世界でもバリアフリーが進んでいる状況ですから、世界に向けて発信していくことも私の役割です。
万博のタイミングで、ミライロという会社を通じて、そうした発信ができれば、私の先祖も喜んでくれるのではないかと思います。