2022-09-06

【新著『成長の臨界』を発刊】BNPパリバ証券・河野龍太郎氏「歴史的視点で読み解く金融経済」

河野龍太郎・BNPパリバ証券チーフエコノミスト

いつの時代においても、新たなテクノロジーは中スキルの労働力を代替し、高スキルを持つ人に多大な恩恵を与える。仕事を失った人が低スキルの仕事になだれ込むから、実質賃金は低下する。米国では賃金高が加速しているが、物価高に追いつかず、実質賃金は低迷している。人件費の高騰に対し、企業は新技術を導入するから、結局、経済格差はさらに広がる。

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 欧米に比べ日本の経済格差が小さいのは、イノベーションが乏しいためだが、さりとてイノベーションを否定し、皆が貧しくなるわけにもいかない。ただ、米国のように経済格差が広がると、経済成長の桎梏になると同時に、民主主義への大きな脅威となる。2024年には、トランピズムを抱える大統領が再び登場する可能性がある。

 歴史を振り返ると、古代ギリシャの時代も、経済格差が民主主義に危機をもたらした。民主制の起源とされるアテナイでは、所得の多寡にかかわらず、父親がアテナイ市民である成人男性は政治に携わった。直接民主制として知られるが、高位の特殊な役職を除き、多くは籤引きで選んだ。選挙は有力者が当選しやすく世襲となりかねないため、欧米では19世紀半ばまでは貴族的制度と見なされていた。

 当時、アテナイの成人男性は、奴隷を使って自らが所有する農地を耕作し、生計を立てた。繰り返し訪れた内政上の危機は、経済格差の拡大で、農地を失い債務奴隷となる市民が増えたことだ。富裕層からの借入が嵩み、返済不能となった。

 成人男性に政治参加の資格を付与したのは、戦時に兵士として国防を担うことが義務づけられていたからだ。借金が嵩み債務奴隷となる人が増えると、国防力が損なわれる。経済格差が引き起こす過剰債務問題は、国家存続の喫緊の課題だった。

 有名なソロンの改革では、債務帳消しや債務奴隷の解放、身体を抵当とした債務の禁止が打ち出された。貧困に喘ぐ中小農民の支持を背景に、権力を簒奪したポピュリズムの元祖と呼ぶべき僭主ペイシストラトスが行った改革では、貴族の土地や公有地を貧しい支持層に与える大胆な再分配政策が採用された。

 現在と同様、富裕層への所得集中は、富裕層が消費しなかった貯蓄が、低中所得層などの消費のファイナンスに向かうことを意味し、それが続くと、過剰債務が蓄積される。人々は目先の景気回復を求める。低中所得者層が借入を増やし、消費を増やす段階では、当時のアテナイでも、経済の活況が観測されたのは想像に難くない。しかし、借入れ主導による景気回復は続かない。エリートによる経済支配は、政治の寡頭支配にもつながるが、債務の返済負担が高まった時に、経済と政治の危機が訪れる。歴史は繰り返さないが、韻は踏む。

 筆者は、7月に慶應義塾大学出版会より『成長の臨界「飽和資本主義」はどこへ向かうのか』を上梓した。テーマは、日本経済の長期停滞とその処方箋を論じたものだ。類書と大きく異なるのは、グローバルな視点、政治的視点、歴史的視点をふんだんに盛り込んだことだ。経済学のみならず、政治学や歴史学、社会学、文化人類学、生物進化学などの最新の知見を援用した。

 各章に歴史的エピソードを盛り込み、米中対立の行方については、古代ギリシャからの覇権国とそれを追う擡頭国の対立から紐解いた。国際金融システムの行方についても、ドル覇権システムの誕生から論じた。皆様に、是非、お読みいただきたいと願っている。

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