2021-01-22

コロナ危機、脱炭素の中で、次の投資をどう進めるか── 新しい経営の仕組みづくり 不安の時代を忍耐強く! 求められるリーダー の『覚悟』

GINZA


塩野義製薬の決断

 日本の新薬メーカーの中で、唯一、総合感染症メーカーである塩野義製薬。

 米ファイザーや英アストラゼネカなどはいち早く、ワクチン接種段階にこぎつけた。ロシアや中国も自国産ワクチンの実用化に入ったと発表しており、新型コロナ克服へ向けての動きが現われ始めた。

 一方で、こうしたワクチンを外国産ばかりに頼っていていいのか─という声もある。国民の命と健康を守る安全保障、また経済安全保障の観点からも国産ワクチンの登場が待たれるところである。

 世界各国が威信をかけて開発競争にシノギを削るワクチン開発。ただ、拙速は避けねばならない。接種の始まった米国などから、激しい副作用の例も報告される。

 塩野義製薬は今、フェーズⅢまである臨床試験のフェーズⅡに入っており、21年中には3000万人分から4000万人分のワクチンの量産体制に入る予定。

 同社は感染症、疼痛、中枢神経系3分野に事業を絞り込む。

 パンデミックになる感染症は100年に1度か50年に1度起きるといわれる。SARS、MERSの例を見ても、市場が10年に1回やってくるという算段で、事業が成り立つのかという課題も背負う。

 新薬の特許期間は20年。新薬の研究・開発に取り組み始め、臨床試験を繰り返して安全性と有効性を確かめる。販売にこぎつけるまでにふつう10年から15年位かかる。もし15年かかれば、残り5年で開発費用(コスト)を回収しなければならない。

 そしてパテントクリフ(特許の崖)という宿命を新薬会社は背負う。新薬の特許満了に伴い、ジェネリック(後発薬)がすぐさま登場し、その新薬の売上が急減するという〝崖〟に直面する。

 そうした医薬業界特有の開発コストや特許問題、パテントクリフを抱えながら、塩野義製薬はなぜ、感染症を専門領域に絞り込んだのか─。医薬品一本に絞る本格リストラに着手手代木功氏は1959年(昭和34年)12月生まれの61歳。宮城県出身。08年(平成20年)4月に、48歳で社長に就任。13年近く前、手代木氏は社長就任時、経営の仕組みをいっぺん壊した上で、「製薬会社として出直していこう」と決意。

本誌主幹・村田博文

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