困難を乗り越えて 開催する方法を考えよう ─ 前回はオリンピック・パラリンピックの運営を巡るスポンサーのあり方について、お聞きしました。改めて、東京オリンピック・パラリンピック(東京2020大会)の開催意義をどのように総括しますか。
武藤 振り返れば、最初は2016年大会の東京開催を目指していたのが落選になり、20年大会ではマドリード(スペイン)やイスタンブール(トルコ)と争って開催を勝ち取りました。この時は国民の7割近くが開催を支持していましたが、コロナ禍になって段々開催を支持する人よりも、反対や延期を唱える人が多くなったわけですね。
─ やはり、一番苦労したのはコロナ対応ですか。
武藤 そうですね。人類がこれまで経験したことのない新型コロナウイルス感染症が世界的に拡大し、大会は1年延期となりました。それでもコロナは収束せず、開催するべきではないとか、再延期した方がいいという意見も多くありました。
しかし、本当に大会を開催することによって死者を出すのであれば中止もやむを得ませんが、何とかできる道筋があるのであれば、困難を乗り越えて開催する方法を考えようと。
大会後、アスリートの方々からは「自分たちの活躍の場をつくっていただき、ありがとうございました」と言ってもらえましたし、海外から来た関係者からも「日本でなければ開催出来なかったのではないか」という言葉もいただき、われわれも苦労が報われた気がします。
前編はこちら ─ それは救われる思いだったでしょうね。実際、コロナ対策ではどんなことを心掛けたんですか。
武藤 これはもう徹底した検査です。来日する前に2回検査をしてもらい、入国時にも検査を行う。選手村では原則毎日検査を義務付けました。陽性者が出たら、すぐに隔離するということで、オリンピック・パラリンピックを通じて、選手は約1万5千人、IOC(国際オリンピック委員会)関係者約4万人を含めて、入院した人は5人しか出ませんでした。
─ あれだけ大騒ぎして、たったの5人?
武藤 そうなんです。これは徹底した検査体制と、徹底した対応をとったからです。最終的には残念でしたけど、無観客にしたことで結局、これも感染者を出さないことに貢献しているわけですよね。
中には、無観客で開催するのは意味がないという意見があったことも承知していますが、わたしは無観客にしたからこそ、当時は緊急事態宣言中だったこともあって東京都の人流は減りましたし、クラスター(感染者集団)が発生することなく開催できたと思っています。