2021-02-11

「通勤」から「生活」の定期券へと変わる? 東急電鉄が試行する「小さな移動」創造戦略

鉄道の定期券が大きく変わろうとしている。これまでは自宅のある最寄り駅から都心のオフィスに向かう通勤需要に対応するものだったが、コロナ禍により環境は激変。今後は逆方向のサテライトオフィスに向かうといった新たな移動需要の創出が求められる。生き方・働き方、つまり人とオフィスの関係が変わる中で「MaaS(移動のサービス化)」を考案する東急電鉄。そのキーワードは「小さな移動」だ。

移動、就労環境、割引サービス

 新型コロナ禍で鉄道会社のビジネスモデルが大きく揺らいでいる。外出自粛に加え、企業の在宅勤務が普及。郊外から都心に通勤客を運ぶ鉄道会社は長年、通勤ラッシュ時の混雑に頭を悩ませてきたが、コロナ禍で一転、いかに乗客を増やすかに腐心することになっている。

 そのための実験に乗り出したのが東急だ。同社は1月13日から約3カ月半にわたり、次世代移動サービス「MaaS」事業の一環として、鉄道の定期券を持っていれば、鉄道はもちろん、高速バスや相乗りハイヤー、テレワークスペース、飲食・娯楽サービスなどを割安に使える取り組みを始めた。その名も「DENTO(デント)」だ。

「これまでの勝ちパターンは崩れた」と交通インフラ事業部でMaaS戦略を担当する森田創氏は危機感を隠さない。そもそも東急の鉄道のうち、東急田園都市線は多摩田園都市という郊外に住んで都心のオフィスに通う通勤客を運ぶことで成長してきた路線となる。その田園都市線をコロナ禍が直撃している。

 東急電鉄の輸送人員は押しなべて約2割減という状況が続く。沿線に観光地のない同社では東急東横線は拠点駅に渋谷駅と横浜駅が両端にあるため、双方向への移動が残っているが、田園都市線は郊外から都心へ移動するという一方通行。「通勤」という移動が激減した中で、「小さな移動」(同)をいかに創造するかがポイントになってくる。

 その際に重要になってくるのが定期券だ。東急電鉄のコロナ前の2020年3月期の定期券収入は約650億円。1500億円規模の運輸収入全体の5割近い水準だ。他の私鉄では3割台が多い。6カ月分を前払いの現金収入として得ることができるため、同社にとっては利益率も高い。そんな定期券支給をやめる企業が増えているのだ。

 森田氏が見据えるのは、この定期券の進化だ。定期券を持っていることで様々な優遇サービスを受けるようにし、「小さな移動」の創出につなげる狙いだ。そのためにも、時・場所・場合(TPO)に合わせた最適な移動手段と就労場所を選択できるようにするのがデントになる。

 1つ目は移動サービス。田園都市線沿線と渋谷駅・東京駅を結ぶ通勤高速バスを走らせる。単なる通勤バスではなく、コンセントとWi-Fiを装備した3列シートの「動くシェアオフィス」(同)に設えを変えている。移動中に仕事をすることを前提にしているからだ。運賃は片道1000~2300円だが、定期券があれば100円引きとなる。また、定期券保有者は帰路では相乗りハイヤーが利用可能だ。

 2つ目は就労環境。自宅で仕事をするのが難しい場合に、近場の施設をテレワーク用に使える。既存のシェアオフィスはもちろんのこと、スポーツジムやバーベキューが楽しめる屋外施設にもワークスペースを設ける。

 森田氏は「コロナ禍でゴルフ場の打ちっ放しの利用が増えている。その傍にワークスペースを設ければ気分を変えて仕事ができるし、新たな発想も浮かぶ」と語る。仕事が終わった後にリフレッシュができる施設が最寄り駅から数駅の場所にあれば、定期券外でも「行ってみよう」という動機付けにもなる。それが結果として「小さな移動」の創造にもつながると話す。

 施設にとってもメリットがある。通常1~3月は営業を休止しているバーベキュー場の営業が可能になり、既存施設の稼働率向上にもつながるからだ。

 3つ目は移動体験や体験価値の提供だ。500円以上する東急線と東急バスの1日乗車券が100円で購入可能となり、東急グループ内外の沿線施設の割引クーポンも提供する。交通費を気にする必要がなくなる。

郊外・多摩田園都市の復活へ

 1980年代の人気ドラマ『金曜日の妻たちへ』の舞台として知られる多摩田園都市。約63万人の人口を擁する憧れの街だったが、今では高齢化率が2割を超え、空き家も増加傾向にある。ところが今回のコロナ禍で風向きが変わりつつある。

「自然の中でゆっくりと過ごしながら仕事もできるし、生活も便利。そして週1回の通勤でも都心へのアクセスが良いエリアでもある。どこでも仕事ができる時代になれば、郊外が見直され、多摩田園都市が復活するチャンスになる」と森田氏。

 また、今回のデント導入の効果として森田氏が期待するのがビッグデータの蓄積だ。デントでは誰がどこに移動し、何を買ったかというデータを得ることができる。これらのデータを分析することで、「東急ハンズ」や「109シネマズ」などのマーケティングや商品開発にフィードバックすることが可能になる。

 これまでは単に「通勤」のためだけに使っていた定期券だが、コロナ禍がその存在意義の見直しを迫っている。そこで東急は沿線住民のライフスタイルの変化に対して定期券を持つ理由を「通勤」ではなく「生活全般」に切り換えることで対応していく考えだ。デントの会員は1万人以上に上り、そのうちの約4分の1が定期券保有者だ。

 東急会長の野本弘文氏は「鉄道しかり、ホテルや百貨店、映画館しかり、東急グループは人が集まれば集まるほど成長するというのが東急グループという事業集団だ」と語る。「集まる」という前提が崩れつつある中で、いかに人の移動を誘発させるか。デントは鉄道会社の新たな在り方を模索する試みとなる。

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