2023-04-20

【環境激変の時こそ、 “土を耕し、種を播くこと” から─】 味の素社長・藤江太郎の「根っこは共通のアミノサイエンス」論

藤江太郎・味の素社長

金融波乱を含む環境激変をいかに生き抜くか─。計画疲れや計画倒れになる愚を避けるため、「計画中心から、環境激変を乗り切る実行力を磨き続ける経営」を標榜する味の素社長・藤江太郎氏。題してASV(Ajinomoto Group Creating Shared Value)経営。1909年(明治42年)、調味料の『味の素』を発売して以来、「我が社は挑戦し続けてきた会社。それがここ5年位、特に国内の食品領域を見ると、挑戦があまりできていない。一方、海外の調味料や電子材料は伸びている。これは、やはり挑戦し続けたからです」という藤江氏の分析。変化の多い時にあって、自分たちの強さは? というと、「アミノサイエンス」という経営基盤を持っていること。同社が今、稼ぐ利益の3分の2は調味料を含む“食品”、3分の1が医薬や半導体製造に不可欠の電子材料などで構成。両者は、一見異なるが、根っこはアミノサイエンスで同じ。社会課題を解決しながら、経営価値を生み出す、つまり利益を生む経営を志向。そのために、「先に土を耕し、種を播こう」と呼びかける藤江氏である。
本誌主幹 村田博文


有為天変の世の中で感じること

 藤江太郎氏が味の素社長に就任したのは2022年(令和4年)4月で1年前のこと。

 コロナ禍が始まって3年目で、社長就任2カ月前にロシアによるウクライナ侵攻が始まった。石油、天然ガスを始め、資源・エネルギー価格は上昇し、産業界ではそのコストアップ分をいかに製品価格に反映させていくか、はたまた社員の賃上げをどう実現していくかという課題に直面し、今日に至る。

 こうした状況をどう受け止めているか?

「わたしは、ピンチはチャンスだと。逆にチャンスはピンチだと思っていますので、様々な変化をいい機会として捉えられるかどうかというのがポイントじゃないかなと思っております」

 藤江氏は1961年(昭和36年)10月生まれの61歳。1985年(昭和60年)京都大学農学部を卒業後、味の素に入社。2017年常務執行役員、21年執行役専務を経て、昨年4月から西井孝明氏(現特別顧問)からバトンタッチを受けて社長に就任、CEO(最高経営責任者)も務める。

 海外勤務は、中国、フィリピン、そして南米ブラジルを経験。中国・北京に勤務したのは2004年から07年までの3年間。折しも反日暴動が起きて、日本及び日本企業を見る中国国民の目は厳しかった。中国国内にある日本の百貨店などは物理的な攻撃を受けたりした時期。

「ええ、国対国ではそういう関係でしたけれども、わたしどもの中国国内のメンバー、あるいはお客様というのは非常にいい人ばかりで」と自らはそう危険な目には遭わなかったと述懐。

 自らの性格、性分についてはどう思っているのか、楽天的な方なのか?

「割と楽天的なのか、もうこれ以上悪くはならないよなと。みんなで良くするためにはどういうことが必要なんだろうかというようなことを考えてきましたね。お金はないけれども、それなりにいろいろなやり方があるよねというようなことでやって来て、わたし自身もいろいろな勉強をさせてもらいました」

 そのやり方や工夫の仕方は、国によって違うのか?

「例えば食文化などの違いはありますけれども、人の本質みたいなところについては、共通点はあるなとすごく思いました」

 フィリピンやブラジルの現地法人が赤字だったのを、みんなで手を携え、力を合わせて黒字経営にした。「現地の人たちも喜ぶし、そんな時はみんなでおいしい酒を飲んだりしてと、そういう事を体験してきました」と藤江氏。

 もう1つ、藤江氏は労働組合の専従を30代の頃に10年ほど経験し、委員長も務めている。この時に掴んだものとは何か?

 藤江氏は、『労使が企業の発展のなかで労働条件の向上を図る』という労働協約を引き合いに、「例えばボーナスの算定も、企業業績が良くなれば、多くもらえるし、そうでなければ厳しいというスタイルというのは1つの原点だなと思うんですね」と語る(インタビュー欄参照)。

 国や地域によって、文化や習俗、そして言語などは異なるが、生きていく上での拠点である企業が良くならないと、「いろいろな可能性が大きくならないし、増えていかない」ということ。このことは、どの国や地域においても共通する認識だと藤江氏は語る。


受け継ぐべきものと変えるべきもの

 経営の基本として、受け継ぐべきものと、変えていくべきものがある。まず、受け継ぐべきものとして、藤江氏は『ASV経営』を挙げる。

 ASV(Ajinomoto Group Creating Shared Value)。味の素グループで共有する価値観ということだが、このことについて、藤江氏は「社会課題を解決しながら、経済価値、つまり利益も出させていただくこと」と語る。

 自分たちの事業を通じて、社会課題を解決していく。そのことで企業は利益を得て、自分たちの存続を図る。そして利益を大きくしていければ、さらに多くの社会課題を解決していくことができる。その方向に向かおうというASVの骨子。このことをしっかり受け継いでいこうということ。

 それには何が必要か?

「志と志に向けた社員の熱意、そして1人ひとりが実力を磨き込むこと。これをわたしたちは、『志×熱×磨』と言っています」

〝志〟と〝熱〟、そして〝磨く〟の乗数が企業の成果として現われるという考えである。

 一方、変えるべきものとは何か? 藤江氏は変えていくこと、また進化させていくものとして、『スピードアップ×スケールアップ』という考えを示す。

 海外でグローバル企業と戦ってきた経験を踏まえ、自らの企業も含めて日本企業の課題として、「経営判断のスピード、そして実行のスピード」に課題があるという認識を示す。

 欧米などのグローバル企業と比べた場合、藤江氏は「まだまだ見劣りする」ことを、肌身をもって感じてきた。一方で、「一生懸命つくり込む力、そして現場におけるスピードは速い」という認識。

 となると、〝経営のスピード〟をいかに上げていくかという藤江氏の問題意識である。

 そうした氏の問題意識の下、100日間で成果を出す『100日プラン』、『ロードマップ』をしっかり描くもの、『課題を徹底的に洗い出すもの』の3つに分けて、自分たちが取り組む仕事を掲げてきた。

 そのような経営課題を明確にする作業に意欲的に取り組む中で、直面したのが製品価格の値上げ問題である。



製品値上げ、賃上げに

どう取り組むか

 コロナ禍、ウクライナ危機の中で、原材料価格や資源・エネルギーコストが上昇。これは全世界に共通する課題だが、欧米市場はともかく、日本国内は歴史的、伝統的に、製品値上げに〝抵抗〟する体質があり、そう容易に値上げが進まないという事情を抱える。

 そのことは、国内の賃金水準が1990年代初めにバブル経済がはじけて以降、ほとんど上がらずに来たということとも関連する。

〝失われた30年〟の間に、賃金は3%しか上がらなかったという分析もある。つまり賃金は30年間横バイだったということ。日本のGDP(国内総生産)は米国、中国に次ぐ世界3位ながら、1人当たりGDPでは27位という水準にとどまり、世界の中での存在感も弱まる。

 そうした内外の諸状況を勘案しながら、グローバルに経営を展開する味の素グループのトップとして、製品価格問題にどう取り組んでいくのか─。

「ウクライナインパクト、(原材料価格のアップなどの)コストアップ、これを肉体改造までつなげていこうと。それはこれまでも取り組んできたんですが、まだまだ十分ではなかった。味の素グループで使う原料にどういうものがあって、それはトータルでどの位使っていて、予算単価がいくら位か、そして毎月のその値段はどう変わっているのかを明確にさせてきました」(インタビュー欄参照)

 当初立てた予算に対して、全体でどの位のマイナスインパクトがあるのかをしっかり把握。そして、コストアップに対しては、最大限の企業努力をしながら、「値上げも一方でさせていただく」という姿勢。

 ともあれ、製品値上げ問題は、賃上げとも絡み、「社会課題の解決の1つでもある」という藤江氏の問題意識。

 同社は2年前から、この問題に取り組んできた。当初は、「何言ってるんだ、味の素は」と反発も強く受けた。食品界のリーディングカンパニーであるだけに、尚更であった。

 しかし、世界の原材料コストの上昇、それに伴い欧米など各国の主要企業も製品値上げへと一斉に動いており、国内の空気も変わってきた。

「わたしどもも大分叩かれましたが、いつかわかっていただける時が来るなというふうに思っていましたし、社内でもやはりこのままの社会ではいけないなと強く感じてくれるメンバーも結構多く、一生懸命この問題に取り組んでくれましたね」

 だからと言って、そう簡単に値上げは浸透しないのも事実。

「ええ、1週間位経って会うと、『藤江さん、やはりしんどいです。でも頑張ります(笑)』ということでね、そういうふうに言ってくれるメンバーが多くて、非常に頼もしかったです」

 いろいろな事を体験して今、思うことは何か?

「そうですね、強い製品だとか、その価値をお客様に認めていただけない製品はやはり値上げできない。そういう面でも、自分たちが強くなり続ける、磨き続けることが大事だよねと」


社長に就任して1年一番嬉しいこととは?

 まさに、今は時代の激動期。そうした時に社長となり、1年が経過した。この中で一番嬉しかったこととは何か?

「味の素は1909年(明治32年)の創業以来、挑戦し続けてきた会社だったと思います。それがどちらかというと、ちょっと挑戦しづらい企業になっていたと思うんですね」

 藤江氏は、特に国内の食品事業で、挑戦があまりできてこなかった事情を踏まえ、次のように続ける。

「ここ5年位、国内の食品を見ると、挑戦があまりできてなくて、トップライン(売上)も利益もあまり伸ばせてなかった。一方で海外の調味料とか電子材料、バイオファーマサービスなどは伸びている。これはやはり挑戦し続けてきたから、そうなっているんですね」

 同社の売上比率を見ると、海外対国内は58対42という比率。その中で、国内の食品部門、特に調味料や加工食品の領域で大きなヒット商品が出ていない。

 そういう状況下、この現実を踏まえて、「挑戦していこうと多くのメンバーが感じてくれている。一番そこが嬉しいですね」と藤江氏が野球に喩えて語る。

「バッターボックスに立って、大谷(翔平)選手も4割は打てない。毎回ホームランを打てるわけじゃないと。ただ、しっかりと日頃から練習してバッターボックスに立って、前向きに捉えていこうよということです。その手応えを感じるのが一番嬉しいですね」

 要は『志×熱×磨』である。


自分たちの強みをいかに強くするか

 時代の転換期を生き抜くには、自分たちの強さ、潜在力をいかに掘り起こしていけるかどうかが重要。改めて、味の素が持つ強さとは何か?

 1909年、同社はうま味調味料の『味の素』を発売以来、『味の素』を構成するグルタミン酸というアミノ酸の働きを追求してきた。世界各国・各地域にAjinomotoとして進出、その国や地域の台所に浸透し、調味料メーカーとしての知名度は高い。

 同時に、この『味の素』を製造する際に出てくる副産物を利用して、絶縁機能を持つ樹脂を生産するメーカーという顔も持つのが同社のユニークなところ。

 半導体製造に欠かせない絶縁材料ということで、今、この電子材料の業績が好調だ。

 2022年3月期で見れば、食品・調味料から生まれる利益が全体の3分の2、アミノサイエンス(アミノ酸事業)のそれは3分の1を占めている。

 後者の事業は2023年3月期も伸び続けており、このまま行くと、2030年度には両事業の生み出す利益は半々になる見通しである。

 食品と電子材料─。一見、関係がないように見え、同社も半導体関連の絶縁材料を手がけているとは積極的に広報してこなかった。しかし、西井前社長時代の終盤、経営の舵を切る。

「根っこは一緒だし、これによって、将来性を味の素はもっと持つことになるわけだから、きっちりと社内のみならず、社外の方にもご理解を求めていこうということで、積極的に社内広報、社外広報をしていこうと舵を切りました」と藤江氏。

 市場も、こうした動きを評価。同社の株価は長い間、バブル期の1987年(昭和62年)の3月に付けた4350円を更新できずにいた。それが昨年2022年)12月上旬、4573円を付け、35年ぶりに株価最高値を更新した。

 食とアミノサイエンスの融合をもっと大事にした経営の付加価値を高めようと、藤江氏は人事の仕組みも刷新。

 アミノサイエンスの経験が長い正井義照氏を食品事業本部長に据え、食品事業に長けている前田純男氏をアミノサイエンス事業本部長に据えるというタスキ掛け人事を実行した。

「根は一緒だということ。ですから、自分たちの中で、心の壁をつくらない。心のサイロをつくらないで、いかにお互いが統合して、いいところを学び合って、お客様にご提案していくかということだと思います」


入社後、一番辛かったこと 逆に、嬉しかったこと

 藤江氏が1985年に入社して38年が経つわけだが、この間一番苦しかったことは何か? の問いに「当社は1990年代の半ばから後半にかけて、大変お恥ずかしい事件を起こしています」と藤江氏は語る。

 1つはリジン(アミノ酸の1つ)のカルテル事件を米国で起こしたこと。そして、総会屋への利益供与事件である。

 当時、藤江氏は30代で労働組合の専従をやっており、当時は副委員長という役職にあった。

「当時、経営を健全にしてもらっているかどうかを、現場目線でしっかりチェックするんだというようなことを組合員に言いながら、一緒にやっていたにもかかわらず、こういう世間にご迷惑をかけるような事件を起こしたりして、一番組合員が悲しんだんですね。また、家族に対しても恥ずかしいと。組合の執行部は何をやっているんだということで、当然のことながら叱責をいただきました」

 当然、総辞職も考えたが、今辞職するよりも、しっかりと組合の仕事をして、経営が健全になった後、全員で辞めるということもあるのではないか─という判断で副委員長職を続けた。

 その時の委員長も「引責辞任する」という考えだったが、藤江氏は、「今辞めると責任を果たさないことになります」と説得。一緒に責任を果たすべく、課せられた仕事を共にして、それがある程度成ったら、「共に辞任しましょう」と正副委員長を2人で続けた。

 その時、企業経営にとって大事なものとは何と感じたか?

「企業が健全に発展することの大切さ。その時にやはり、組合員と家族が、こんなに恥ずかしい会社で仕事をしていたのかと思うような事を二度と起こしたらいけないと感じました」

 その後、藤江氏は委員長に就任。当時、会社再生を託された江頭邦雄氏(1937─2008)は社長在任中(1997─2005)、労組との対話も重視してきた。

「江頭はいつも定期的に委員長と話をするよと。その時には、悪い話を自分にしてくれと。(社長の)自分の所にはいい話しか来なくなっていると思うので、組合員の皆さんには、職場でどんなことが起きているかということを言ってくれと。そういうことで、ずっと聞いてもらった立派な経営者がいたなと思っています」

 藤江氏自身、昨春社長になってから、現場との対話を重視している。現場に課題解決の〝解〟はあるという考えの下、幹部層はもちろん、現場社員との対話を、メール交換を含めて積極的に行っている。

 人生には苦しさ・試練もあれば、それを克服できた時の喜びもある。

「喜びは本当にいろいろな事が多くあるんですけれども、そうやって苦しい時に力を合わせて取り組む。そして企業業績も良くなって、皆で喜び合う会食、乾杯、これがこの上ない喜びです。労働組合の専従の時も、その後、企業が健全に発展してきた中で乾杯できました。中国、フィリピン、ブラジルでの仕事もそうですし、新しい中期ASV経営で、挑戦的で野心的な目標を掲げて、これは何としても皆で達成しようじゃないかと。達成した暁に、おいしいお酒を皆と酌み交わしたいと」

 同社は、従来型の中期経営計画を止めることにした。これまで、3カ年での中期計画を立てていたが、大体、その3年の間に社会情勢や経済情勢が変わる。

 そのことに対して、細かい数字を積み重ね、繰り入れするなどして、「計画疲れや計画倒れになっていた」という自省。社内でも、「PPPP病(プランプランプランプラン病)だ」と自虐的な言葉がささやかれていた。

 そこで、藤江氏は、「計画中心から実行力を磨き続ける中期ASV経営にシフトしよう」と宣言、この4月から実行する考え。


エベレスト登山を目指す!

 藤江氏が登山に喩えて言う。

「富士山の登山を目指すのではなくて、エベレストを目指そうと。富士登山はトレーニングをしっかりやり、季節のいい時期にいい天気であれば、登頂成功の可能性はかなり高いと思うんですね。一方でエベレストに登ろうとすると、どんなチームを組むのか、どんな装備をし、ベースキャンプをどこに置くのか、あるいは何ルートを取るとか。はたまた登頂アタック隊は誰を選ぶのか、こういうことをやらなければいけない。この道筋が大事ですね」

 ただ、道筋がうまくいくとも限らない。そこで、「うまくいかなかった時に、機敏に打ち手を変えていく。これによって実力が磨き込まれる」という藤江氏の考え。

 環境激変の時代を生き抜くには、実力を継続的に磨き込む『志×熱×磨』の実践である。

「これも、播いた種と耕した土壌からしか、おいしいフルーツは楽しめないというのを、中国の時もフィリピンの時も、そしてブラジルの時も経験。ですから、先に種を播こうと。先に土を耕し、肥料をやり、水をやろうと。これで初めてフルーツを楽しむことができると思います」

 ピンチはチャンス、チャンスはピンチのバランス感、全体感を持ちながらの挑戦が続く。

本誌主幹 村田博文

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