2021-02-28

【経済の本質を衝く!】矢嶋康次・ニッセイ基礎研究所チーフエコノミスト「『ESG投資』の現実と日本の選択」

ESGとは、環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)の頭文字を取って作られた言葉で、近年では、この三つの観点から企業を分析して投資する「ESG投資」が注目されている。この流れはおそらく止まらないし、加速するだろう。個人的には、どうもしっくりこない制度だが、日本や日本企業がやり始めるなら、勝者にならないといけない。

 個々企業には、ESG投資の観点から格付け機関や投資会社などによるランキングが付けられるだろう。ただ当面は、評価面のばらつきが、相当出て来るはずである。ESGは、財務状況にはなかなか表れにくい社会的価値と理解されている。この社会的価値が、中長期的に市場価値として反映されて来るならば、その企業に投資することで投資収益を上げることができるが、現時点では必ずしも、そうだとは言い切れない。

 例えば、多様性を重要視する場合、取締役会などのダイバーシティの確保が重要になるが、オーナー企業の中には経営のスピードが早くパフォーマンスが高いところも多い。また、環境問題も同じような問題をはらんでいる。例えば、二酸化炭素の排出は少ないが低収益である会社と、二酸化炭素の排出は多いが高収益である会社では、どちらが評価されるべきであろうか。

 日本の経営者には、枠組みが不平等だとの意見もあるだろう。例えば「S」の部分について言えば、日本の法人税はそもそも高く、諸外国に比べて最初からハンデがある。また「E」の部分についても日本は国土が狭く、カーボンニュートラルと言っても、これ以上どこに木を植えれば良いのか、欧米と同じルールでは不公平であり、そもそもハンデがあることを主張すべきだとの意見だ。企業にとっては死活問題になりかねない。

 欧州は、現実的にできるかできないかは別として、ゼロか100かの二者択一を迫る傾向が強いと私は感じている。単純にその流れが日本に導入された場合、踏み絵を迫られることを危惧している。つまり、ESGの表向きの数字だけが取り上げられる一方で、市場価値が高いかどうかは二の次にされる展開だ。

 私は米国企業は高収益、欧州はゼロ100指向、日本はその中間に位置すると見ている。欧州が進めるだろうゼロ100の世界ではない現実路線について、日本はまず米国と現実的な落としどころを握る必要がある。その上で、この分野の国際標準を積極的に取りに行かないと、フォローの風が吹き始めている日本の一手間、二手間という安心安全の社会システムへの評価が、中途半端に終わりかねない。

 やると決めたからには、オールジャパンで世界の勝ち組を狙うことが必要だ。おそらく勝ち組にならなければ、中途半端な負けではなく、海外に美味しいところを根こそぎ持って行かれる。環境という綺麗な言葉の裏には、えげつない現実が隠されているのだ。

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