2021-03-05

ミキハウスグループ代表・木村 皓一の「世界の子供に笑顔と安心を!」(第2回)

木村 皓一・ミキハウスグループ代表

志を高く、未来へ向かって挑戦



 木村が創業した1971年は日米繊維交渉が激しく展開されている時期。50年前、日本で安価(低コスト)でつくられる繊維製品が米国内の繊維(アパレル)業者を圧迫し、政治問題化していたのである。

 この時、木村青年は「質のいいもので、高くても売れるもの」を追求しようと心に決めて創業。

 以来、九州、四国と繊維業者を探し歩き、同時に各地の百貨店や衣料品店との取引を始めようと交渉に出かけた。

「実績は?」と相手に聞かれ、「創業したばかりだからゼロです」と答えると一蹴されるケースがほとんどだった。

 それでも粘り強く、相手を訪れ、自らのビジョンと「メイド・イン・ジャパン」にこだわる姿勢を説き続けた。

 ブリヂストン発祥の地、久留米(福岡県)で靴製造業者と対話を重ね、親密な関係をつくりあげていった。久留米はかつて地下たび、自動車タイヤとゴム関連のモノづくりの技術の集積地。靴はこの久留米と熊本で年間70~80万足を生産している。

「日本のモノづくりのすぐれたところを世界に発信したい」という木村との取引を始める輪が次第に広がっていった。

 今回のコロナ禍にあっても、「日本の工場を守り抜かなければ」という木村の思いである。 

 このように時代の転換期にあって、木村は26歳で起業。関西大学経済学部を中退して、野村證券でしばらく働いた後、『三起産業』を起こす。

  木村は1945年(昭和20年)2月23日、滋賀県彦根市の生まれ。彦根は父の出身地だが、父・庄太郎は繊維の本場である大阪・本町で繊維の製造卸を営んだ。アパレル(繊維製品)の分野で起業したのも、父の影響があったのかもしれない。

 ただし、家業を受け継ぐのではなく、自分の手で自分の会社を起こすという木村の考え。

 何より、子供たちへの愛情を持って仕事をしていこうと、木村は『子供たちと家族の毎日が笑顔になるように』というビジョンを構築。

 人の一生は、赤ちゃん(ベビー)の時からスタートする。そして3歳児から5歳児の頃、親の愛情を受けて、その人の気質や人格の形成が行われる。

 人のライフサイクルからして、人の基礎を形成する大事な時期に、最高品質のベビー服・子供服を届ける仕事をしたいという木村の経営理念であり、経営ビジョンである。

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