小学4年時に「自分の力で治す」と決意
木村が小学4年生というと1955年(昭和30年)で、まだ助け合いの精神が地域社会にあった。大阪という大都市でも、地域の住民同士のつながりが色濃く残っていた時代。敗戦からまだ10年目という時代である。
「今と昔では違いますね。僕らの少年時代は、戦争中もそうだったのでしょうが、みんな貧しいから助け合わないと、やっていかれへんかった」
そうやって、周囲の好意に甘えてしまいがちな自分の生き方に、疑問を感じる時が来た。
「小学4年生くらいになると、好きな子ができますやんか。そうして勝手に意識し始めた頃、いろいろ考えてみたら、友情も何もないねん。同情だけやと。もう哀しいで。今まで同等に考えて偉そうにしゃべっていたけれども、だんだん裏が見えてくるようになった。自分は同情されているだけやから、仲良くしてくれるんやって」
こう気づいた木村少年はリハビリに進んで向かおうと考え始めた。筋肉をつける方法を見つけようと、本を読みだし、自分で足を動かして、自ら筋肉をつけるしか方法はない。木村少年に〝自立〟へ向けての思いが芽生えようとしていた。
(敬称略 「財界」3月10日号から)