大阪の風土、先人の教えに啓発されて…
世界に浸透する高級ベビー服・子供服のブランド『ミキハウス』を創り上げた木村。
その木村は大阪という昔から、商いの盛んな風土の中で幼少期から今日まで生きてきた。
関西には江戸期、『石門心学』といわれる石田梅岩が説く商人道があった。『先も立ち、われも立つ』─。先(相手)の利益がまず生まれて、そして自分もその取引を通じて利益が得られるという考え。
『先義後利』という考えにも近い商人道である。
木村の父・庄太郎は滋賀県彦根市の出身。滋賀は近江商人で知られ、近江商人には『三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)』の考え方がある。
木村が大学に籍を置いたのは50年以上も前のこと。学生時代に受けた講義について、「やはり世の中の役に立てよというようなことだったと思います」と振り返る。
1945年(昭和20年)2月、敗戦の半年前に生まれた木村。3歳で小児麻痺にかかり、歩行困難な中から、「歩けるようになろう」と歩くことに努めるなど、いろいろな事を体験してきた。
26歳で起業。いいものを作るといっても、それをお客様に「知ってもらうにはどうすればいいか」とか、「信頼されるにはどうすればいいか」と考えに考えてきた。
金儲け第一主義なら、消費者にすぐ見捨てられる。
「世の中の役に立つような商品づくり、そして経営を」という木村の考え。
関西大学は中退して起業家の道に入った木村だが、創業50年の道のりを振り返るとき、『廣田先生の教え』に感謝する日々。
「先生は別の意味で言っておられたのかは分からないけれど、僕はそう感じていたということです」と木村は語る。
〝教える側〟と〝教えられる側〟との関係は実に奥深い。若者が何かを求めようと必死にもがき、努力している時に、〝教える側〟の言葉や信条、そして人となりが〝教えられる側〟のその後の人生に多大なインパクトを与えるということ。
廣田先生と木村との関係にもそのことが言えるのではないか。
(「財界」4月7日号から、敬称略)