2021-04-13

りそなHD社長・南昌宏の「ソフトパワー」戦略 運用商品、店舗改善に注力

南昌宏・りそなホールディングス社長



地銀再生に向けた新たな提案


 だが、変化が激しく、顧客の価値観も大きく変わる現代にあって、こうした姿を銀行単独で実現することは難しい。そこで南氏が掲げているのが「オープンプラットフォーム戦略」。

 りそなが培ってきた銀行、信託、運用、不動産の力と、異業種も含めた他者の力とを融合させていくことで、新しいソリューションを提供していく。「志、方向感を同じくする方々と連携していきたい」と南氏。

 このプラットフォームは異業種だけでなく、地方公共団体、さらには地方銀行との連携にも活用していく。地銀再編が叫ばれて久しいが、単に統合で規模を大きくするだけでは効果に結びつかないという見方は強くなっている。

 その流れの中でりそなは、めぶきフィナンシャルグループとデジタル分野で提携。3月24日には常陽銀行と足利銀行に、りそなが開発したスマホアプリの提供を開始。両行の店舗の業務プロセス改革も支援する。

「20年前なら、めぶきFGさんと我々という組み合わせで提携をすることもなかっただろう。時代の変化、テクノロジーの進化が大きい。今後、広く地域金融機関の皆さんと戦略的な提携を進めていきたい」(南氏)

 確かに20年前ならば、こうした提携を結ぶ時には資本を伴うような大規模なものになったろうし、そうなるとお互いに警戒して、なかなか話が前に進まなかった可能性もある。

 だが、今は必要な部分を補い合う提携を進められる。これを可能にしたのもデジタル技術。特に自社システムの機能を外部に公開し、連携するAPI(Application Programming Interface)の開放が進んでいることが大きい。

 また、地銀最大手の横浜銀行には21年4月19日から「ファンドラップ」の提供を開始。ファンドラップは、資産配分や投資先ファンドの選定、管理を総合的に提供する運用商品。

 ファンドラップ自体は証券会社や信託銀行も取り扱っているが、横浜銀行がりそなを選んだ理由は何か?

 近年の資産運用ニーズの高まりから、横浜銀行でも運用商品を強化したいという考えはあったが、自行にはノウハウがない。自前か、外部からの導入かを検討した結果、りそなに決めた。横浜銀行関係者は決め手を「実績と商品性」と話す。

 りそなのファンドラップの残高は21年1月末で5000億円を超え、90%以上の顧客の運用損益がプラスとなっている。

 証券会社のファンドラップとの違いは、りそなが普段商業銀行を利用し、預金を中心に考えてきた投資初心者をターゲットとしていること。約50年にわたり、企業年金ビジネスで培った資産運用ノウハウを、リテールの顧客に提供する狙いがある。

 20年1月には、運用を担うりそなアセットマネジメントに、りそな銀行の信託機能を集約し、機能を強化。「人生100年時代に、若い世代も含めて、安心・安全な運用サービスを提供していきたい」と南氏。

 めぶきFGとの提携、横浜銀行へのファンドラップ提供のいずれも、りそながこれまで培ってきた、いわば「ソフトパワー」を生かし、互いに「ウィン・ウィン」の関係を目指すもの。資本の力を生かした提携とは考え方を異にしている。

「提携させていただいている企業、そしてその先にいるお客様にも『ウィン』になっていただく。それをいかに実現するかが戦略的提携を成功させるために必要なことだと思う」(南氏)

 地銀を巡っては、SBIホールディングスが「第4のメガバンク構想」を掲げて再生に取り組んでいる他、野村ホールディングスが山陰合同銀行、阿波銀行と提携。さらには東海東京フィナンシャル・ホールディングスやあおぞら銀行も地銀との提携を進めようとしている。

 長期化する低金利の中で融資と国債運用は成り立たず、地銀は新たな道を見つけなければ将来がないという状況下、生き残りに向けた選択肢が増えたと言えるが、今後は徐々にその成果が問われる段階に移る。

「今後はお客様との接点の数、ソリューションの質がポイント」(南氏)。地銀が持つ顧客に自らのソリューションを提供するチャンスでもあるだけに、りそなを始め、各社知恵を絞る。

 りそなHDは傘下に、りそな銀行、埼玉りそな銀行、関西みらい銀行(大阪府)、みなと銀行(兵庫県)という4つの銀行を持つ。「単に合併するとメガバンクさんの半分くらいの規模の銀行になるだけ。同質の競争の中でメガさんと競争するよりも、地域に根ざして戦い、その総和としてのりそなグループがあるべきだろうと考えている」

 一方、システムや事務など、顧客から見えない舞台裏は共通化、効率化を加速させていく。

故・細谷英二氏の「りそな改革」への思い


 南氏は1965年6月和歌山県生まれ。89年関西学院大学商学部卒業後、埼玉銀行(現・りそなHD)入行。「幅広い業種のお客様にお会いできる仕事で、自分も成長できるのではないか」と考えて志望した。

 南氏は日経平均株価が最高値を記録した年に入行したが、その後バブル経済は崩壊、90年代終わりには金融危機に入る。南氏はその最中、98年に企画部に配属され危機対応にあたった。

 03年には、同3月期の自己資本比率が国内銀行の最低基準である4%を下回る見込みとなり、預金保険法102条に基づいて約2兆円の公的資金が注入され、実質国有化された。公的資金はピーク時で3兆円を超えた(15年6月に完済)。

 預金保険法102条適用は少人数で極秘裏に進められたプロジェクトで、南氏はそのメンバーの1人だった。「あの時の光景は今も忘れない。辛い思い出だが、銀行員としての〝背骨〟をつくってくれた出来事」

 りそなの再生に取り組んだのが、JR東日本副社長から転じた細谷英二氏。南氏は最初の出会いを「大人数で来られると思っていたが、1人で来られていたことを覚えている。その姿、覚悟を見た時に『頑張ろう』と思った」と振り返る。

 細谷氏は「銀行の常識は世間の非常識」と訴え、例えば店舗を15時ではなく17時まで営業、待ち時間ゼロといった改革を進めていった。

「りそな改革で見たもの、感じたものは財産であり原点。当時、多くの仲間もいなくなった。彼らの分も我々がりそなとして残してもらった意味を証明するには、お客様に新しい価値を提供することしかない。平坦な道ではないが、強い覚悟を持ってやり続けたい」

 超低金利は長期化、デジタル化で世の中が大きく変わる中、銀行に求められるものも多様化している。国内を深掘りし続け、選ばれ続ける価値を追求したいという南氏だ。

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