2020-12-17

野村ホールディングス・奥田健太郎社長が語る「人とデジタルの融合」の課題

奥田健太郎・野村ホールディングスグループCEO

コロナ禍で新たな営業手法を模索

「コロナが始まってから、我々は『非対面』でのビジネスを加速しているが、コロナ前からデジタル活用の基盤はできていた。最初は戸惑いもあり、マーケットも動いて注文も増えたので大変ではあったが、従業員はしっかり取り組んでくれて、大きな間違いもなく、きちんとできたと思っている」と話すのは、野村ホールディングスグループCEO(最高経営責任者)の奥田健太郎氏。

 新型コロナウイルス感染拡大は、証券業界にも大きな影響を及ぼした。特に、野村證券が強みとしてきた国内営業部門では顧客への訪問が、ほぼできなくなってしまった。この状況の中でどう活動してきたのか?

 野村證券社内では今、訪問、電話、メール、リモートツールなどでどれだけ顧客と接点を持ったかを「活動量」として見ているが、「コロナ前と後では訪問件数は減ったが、トータルとしてのコンタクトの回数は非常に上がっている」(奥田氏)。

 取り組んだのは対面と非対面の「ハイブリッド」。その活動の成果は数字にも表れている。同業の大和証券グループ本社の国内営業部門が赤字を計上するなど各社の営業活動が制約を受ける厳しい環境下、野村HDの第1四半期決算で、国内営業部門は150億円を超える税引き前利益を確保し、増収増益。

「お客様のご希望に合わせて、最適なツールでビジネスをしていく。課題は、非対面で対面と同じようにお客様に納得していただき、ご決断いただけるような形にしていくか。ここには改善の余地がある」と奥田氏。

 社内ではコロナ以後の働き方の「生産性」を見ているが、必ずしも高まったものばかりではないという結果が出ている。リモートでできる仕事、やりづらい仕事を整理し、どう改善につなげるかが問われている。

 野村證券ではコロナ以前から、営業改革を進めてきたが、動きはさらに加速している。野村證券は常に、その営業力の強さで他社と差別化してきた歴史がある。非対面、デジタル活用で、この「人」の強さを発揮することができるのだろうか?

 奥田氏は「できるところと、できないところがあると思う」という。野村證券では個人、法人問わず、顧客のところに足繁く通うことで信頼を積み重ねてきた。また、投資家向けの大規模セミナーなども開催してきたが、こういったアプローチの一部は今後、できなくなる可能性がある。そのため「新たなお客様へのアプローチ方法を創っていく必要がある。それを実行するのも、また『人』」と話す。

 これまで進めてきた営業改革の柱は、売買に伴う手数料収入から、「預かり資産」を重視するスタイルへの変革。それをさらに深化させるために、新たな手数料体系の検討が進む。

 それが、預かり資産に連動して手数料を得る「レベルフィー」。この狙いを奥田氏は「お客様と同じベクトルを向いて仕事をしていきたい」と表現する。つまり、売買手数料の場合、顧客が利益を出しても損を出しても、売買が発生すれば手数料が入ってくる。対して預かり資産に連動をすれば、顧客が利益を出して資産が増えれば、野村が得られる手数料も増えるという好循環になる。

第1四半期決算では過去最高水準の純利益

 近年、様々なビジネス分野でプラットフォーム化、システム化が進んでいるが、どうしても仕組み自体は似たものにならざるを得ない。勝負は、どんなコンテンツを持っているか。そのために野村HDが20年7月1日付で立ち上げたのが「コンテンツ・カンパニー」。このコンテンツ充実と、レベルフィー検討はセットになっている。

 その意味で、営業において「人」の重要性は変わらないものの、求められる資質は変わる可能性がある。商品知識だけでなく、顧客の資産をどう運用していくか、次の世代につないでいくかといったことをアドバイスできるコンサルティング能力などの付加価値が問われる。その意味でも「『人』は、差別化の最も大きな要因になる」

 また、第1四半期で特に好調だったのは法人部門。海外、特に米国ではコロナ後から今も、9割以上がリモートワークを継続しており、社員同士の「つながり」を意識させるなどメンタル面に配慮しながらの運営を進めてきたが、その環境下で海外ビジネスの税引き前利益は第1四半期で過去最高となる642億円を計上。

 第1四半期の決算全体では税引き前利益が前年同期比同2・4倍の1818億円、純利益が同2・6倍の1425億円となった。純利益は米国会計基準を適用した02年3月期以降で2番目の高水準。

 奥田氏はこの第1四半期決算を「国内営業部門は厳しい環境の中できちんと黒字を出してくれた。感染防止をしながらお客様とコミュニケーションを取り、しっかりビジネスをつくってきた成果が出ているのではないか。また法人部門は米国の貢献が大きく、過去最高に近い収益を出すことができた。過去数年間、良かったり悪かったりの中で選択と集中を進め、その選択したところがうまくできた。全てが自分達の実力だとは思っていない。ただ、マーケットが動けばある程度ビジネスがつくれることは確認できた」と評価。徐々に投資環境が正常化してくる中で、これを継続することができるかが問われる。

「パブリックからプライベートへ」

 奥田氏は、CEO就任後の5月19日に開催した投資家向け説明会で「パブリックからプライベートへ」という戦略を打ち出した。「プライベート」という言葉には、より顧客1人ひとりのためにカスタマイズされた商品・サービスの提供と、「非上場企業領域」の開拓という大きく2つの意味がある。

「我々はこれまで、国内外でパブリック(上場企業)の投資を中心に行ってきたが、ここ数年、プライベートエクイティファンド(未公開株式に投資するファンド)、プライベートデット、(投資家から集めたお金をローンの形で貸し出すファンド)、私募の投資信託など、カスタマイズされた商品、『公募から私募へ』の動きを加速している」

 すでに、全国の支店から様々なアイデアが寄せられている他、経営層ではどのような商品の供給ができるか、グループの野村アセットマネジメントも巻き込んで検討を進める。

 さらに、アナリストというと上場企業の分析をする存在として知られているが、実は非上場企業やプライベートエクイティの投資先の分析もしている。今は一般に公開していないが、こうしたデータをどう活用していくかも、前述のコンテンツ・カンパニーで検討している。

 また近年、デジタル活用、新たな事業創出には、他社と連携して知恵を出すことがますます求められている。特に金融は、デジタルとの組み合わせ次第で業界の構造が大きく変わる可能性もある。こうした環境下、奥田氏はCEO就任を発表した19年12月2日の会見で、「ITも競合相手であり危機感は強い。提携相手は既存の金融かどうかは分からない。柔軟に考えていきたい」と話した。

 奥田氏の就任以前から、野村HDはLINEの金融子会社・LINEフィナンシャルと合弁で、スマホ証券会社「LINE証券」を設立するなど、他社との連携を進めている。

「我々が弱い部分は、おそらくIT。こうした分野でもっと提携ができるのではないか」(奥田氏)。例えば、ITに強いヘッジファンドと組んでAI(人工知能)を活用した債券トレーディングを行っている他、野村総合研究所と合弁で「BOOSTRY」という会社を設立。ブロックチェーン(分散型台帳技術)を活用して資金調達を行うSTO(セキュリティ・トークン・オファリング)のプラットフォームを開発している。

 このBOOSTRYでは野村證券出身の北尾吉孝氏率いるSBIホールディングスと連携。SBIは今後、BOOSTRYの株式を一部保有することになり、出資比率は野村HD56%、野村総研34%、SBI10%という構成となる。

 これまで北尾氏は古巣である野村を意識した発言をしてきただけに、両社の関係性は常に注目されてきたが、この提携は野村HDが垣根なく他社と連携していくことを示した事例と言える。「(今後の提携については)勝ち残っていくためにどうするか、お客様に対するサービスの質を上げるためにどうしていくかを考えていく」(奥田氏)

 今、テクノロジーの進展で金融業界には異業種の参入が相次いでいる。また、金融庁などが銀行、証券、保険などの商品を一括で取り扱う、新たな金融仲介業の創設の議論を進めるなど、業種間の垣根が低くなってきている。こうした中、奥田氏は証券会社の今後のあり方をどう考えているのか。

「単に株式や債券、投資信託を取り扱うだけでは生き残っていけない。様々なお客様のニーズを全体として受けられる総合金融というか、コンサルティング、アセットマネジメントにシフトしていかないとお客様に選んでいただけない。他の証券会社も同じ方向を見ているのではないか」(奥田氏)

 これは証券会社のみならず、銀行グループも証券部門を強化し、さらなる総合金融サービス化を志向しており、そこにITなど新興勢力も絡んで、ますます競争が激化することが考えられる。そこで差別化していくために必要なのは、やはり「人」と「コンテンツ」。

 今、奥田氏は社内に「新しいことに挑戦していこう」と呼び掛けている。スローガンだけでなく、人事評価の中に「課題設定」として組み入れて具体的に形にしている。これは奥田氏が若手と議論をする中で意見を採り入れたもの。

「『野村は面白く、いろいろなことをやっているな』という形になりたい。野村の良さはワイワイガヤガヤやりながら、新しい商品、サービスを出してきたところ。それをもう一度、強調していきたい」と奥田氏。

心に刻まれた「ディスプレイの墓場」

 前述のように19年12月にトップ人事が発表され、1月から前CEOの永井浩二氏からの様々な引き継ぎが始まったため、4月の就任までに「考える時間があった」と振り返る。週末なども利用して、経営陣で今後の野村のあり方を議論してきた。

「今思うことは、考えて、議論して、決めたことをしっかり実行すること。結果をきちんと出していきたい。社内には力があり優秀なメンバーが多い。彼らが仕事しやすいプラットフォームを築き、オープンにコミュニケーションができる場をつくっていくことを考えている」

 奥田氏は1963年11月北海道生まれ。埼玉県で育ち、87年慶應義塾大学経済学部卒業後、野村證券入社。92年ペンシルベニア大学ウォートン・スクール修了、MBA(経営学修士)取得。経営企画部長、企業情報部長などを経て、12年野村HD常務、19年執行役副社長、20年4月グループCEOに就任した。

 大学卒業時、「就職活動時に会った先輩方が魅力的だった。皆さん元気で、ワイワイガヤガヤ仕事している様子が伝わってきて、面白そうだと感じた」と野村證券を志望。

 主に企業のM&A(合併・買収)などを手掛ける投資銀行部門の経験が長く、会社生活のほとんどを事業部門で過ごしてきた。その奥田氏の忘れられない経験は、07年から1年間務めた経営企画部長時代にあった。

 当時は米国で「サブプライムローン問題」が顕在化。野村HDも巨額の損失を計上する事態となったが、奥田氏はこの問題の処理を担当した。

 米国ニューヨーク発の問題だったこともあり、野村HDもニューヨーク拠点でリストラを行うことになったが、極めて短期間で3割以上の人員を削減しなければならなかった。奥田氏は「この期間、ニューヨークに滞在して仕事に取り組んだが、こういうことは二度とやりたくないと思った」と振り返る。

 ニューヨーク拠点の債券トレーディングフロアからは、メンバーが全員いなくなったため、広々としたオフィスの床には不要になったディスプレイがまとめて置かれていた。それを見た誰かが「ディスプレイの墓場だ……」とつぶやいた。「この言葉は今も頭に残っている。会社がこういう風になってはいけないんだと強く思った」と奥田氏。経営トップに就いてからも、変わらず持ち続けている思いだ。

 コロナ禍で変革をさらに加速し、野村が持つ「人」の力を、デジタルといかに融合させ、新たな証券会社像を築くか。奥田氏の手腕が問われる。

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