2021-06-12

【作家・倉本聰】放送開始40周年を迎える『北の国から』の主人公・黒板五郎が訴えてきたものとは?

くらもと・そう
1935年東京都生まれ。東京大学文学部美学科卒業。59年ニッポン放送入社。63年に退社後、脚本家として独立。77年北海道富良野に移住。84年に役者と脚本家を養成する私塾・富良野塾を設立。2010年の閉塾後、卒業生を中心に創作集団・富良野GROUPを立ち上げる。『北の国から』『前略おふくろ様』『やすらぎの郷』『風のガーデン』など、作品多数。

「死ぬことに対して恐怖はない。ただ、死ぬとき苦しみが一番の恐怖としてある」──。富良野塾で共に演劇をつくってきた友が〝尊厳死〟を望んだが、それが実現せず、苦しみながら息絶えた。その一部始終を見ての作家・倉本聰氏の感想。生きることとは何か、死ぬこととは何かを考えたとき、人生の最終章の選択はどうあるべきか。改めて人の生き方・働き方の本質とは何かを再考する。

「死」を見ていない現実

── かねてより倉本さんは医学が発達し、人を永く生かすことはできても、人を安らかに死なせることができない日本の社会の在り方に疑問を感じていらっしゃいましたね。

 倉本 いわゆる財界に属する高齢の方々は死ぬ時期を迎えていらっしゃると思うのですが、もう死は他人事ではありません。自分が死ぬということを直接的にお考えになっていらっしゃる方が多いと思うのです。僕もそうなのですが、死ぬことに対しては、あまり恐怖はありません。ただ、死ぬときの苦しみが一番の恐怖としてあるのです。

 なぜなら、昔の家族制度では、だいたい自宅で看取ったからです。僕も祖父や祖母、両親の死に際を自宅で見てきました。ですから、死ぬときの苦しみは覚えているのです。ところが、今はみんな病院に入れてしまう。

 それで「そろそろです」と連絡を受けて慌てて駆けつけ、間に合うか、間に合わないかの瀬戸際となり、意識がなくなっているところで到着し、間もなく亡くなってしまう。「死」があまりにも医者任せになってしまっていて、自分の中から抜けているような気がするんです。

 ── 今は「死」と接する機会が減っていますね。

 倉本 ええ。ある幼稚園の園長さんによれば、昔は「おじいさんが亡くなりそうなので、今日は休ませてください」という連絡を受けていたけど、最近は「おじいさんが亡くなりそうなので、今日は預かってください」と言われるそうです。つまり、子どもたちに「死」を見せていないということです。

 ── 倉本さんの場合、「死」を間近で見てきたのですね。

 倉本 オヤジは狭心症で苦しみましたね。最後は「はあ、はあ」と息を吸おうと思っても吸えなくなる。そんな姿を見てきました。ですから僕の中には「死」というものは、こういうものなんだなと。現実に目の前で見てきたから分かるのです。

 ── その中で、死期を迎える人を何とか生き永らえるようにしてしまう今の日本の医学をどのように考えますか。

 倉本 僕は医学に哲学がないんだと思いますね。医者が病人を見ないで病原だけを見てしまっている気がするんです。山本周五郎の『赤ひげ診療譚』でも綴られていますが、「赤ひげ」と呼ばれる主人公の医師の思想は病気を見るのではなく、病人を見るということになります。

 今の医学は病原菌を見たり、ウイルスを見たりして、それを潰すことに集中し、人を見ていないという気がするんです。僕が脚本を書いたテレビドラマ『風のガーデン』では、末期がんの医師がモデルとなっているのですが、その際、数件の手術に立ち会わせてもらいました。

 そのときに感じたことは、大手術が始まると、最初に麻酔医が動いて麻酔をかけます。それから外科医が動いて手術を始めるのですが、手術が始まると麻酔科医などはみんなモニターを注視する。それから、外科医は患部を重視する。しかし、誰も見ていないところがあったのです。

 それが病人の顔です。医師たちは患者の部位や数値が表示されているモニターだけを見ていたのです。全部がそうだとは言いませんが、患者さんがどんなに偉い社長であろうと、政治家であろうと、医師たちの目は患部やモニターに向いてしまっていて、死んでいく患者の顔をあまり見ていなかったのです。忘れられているということです。

【特別寄稿:倉本聰】「そしてコージは死んだ」

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