2021-07-04

【丸和運輸機関社長・和佐見勝】「お客様の困り事を解決するという視点に立って物流のソリューションを!」



大手ドラッグストアが打ち出した「500店舗構想」

 ─ そもそもどういった海外視察だったのですか。

 和佐見 様々な業種の方々が参加する海外視察で、私もそれに申し込んで参加しました。これは非常に参考になりました。例えば、小売業の海外視察に行くと、必ず店舗の視察をするのですが、その小売り店舗の物流センターの視察も申し込んだりして現場を見てきましたね。

 こういったことを学び、常にお客様に提案する。我々はお客様の抱えている問題や悩み事を解決するためのソリューションを一つひとつ提案する側に回らなければなりません。お客様の目線、立場を踏まえた中で提案していくことが大切です。

 振り返ると、昭和の時代、当社はメーカーの物流を担った時期がありました。しかし、平成に入るとメーカー物流をやめて小売業の物流へと舵を切りました。

 昭和中頃の日本は生産国でモノを作って海外に輸出していたのですが、昭和の後半になると、メーカーがどんどん海外進出し、特に人件費の安かった中国などに生産拠点を次々と移転させるようになっていきました。

 ─ 産業の空洞化ですね。

 和佐見 はい。そこで私が感じたのは「このままいくと生産国だった日本は、消費国になっていくのではないか」ということでした。私自身が小売業界の出身で、その業界のことは熟知していましたので、小売業へ市場の絞り込みをしようと考えました。つまり、成長するマーケットはどこか。その中でどんなお客様が成長していくのか。これを見分けていったのです。

 ─ そして1990年代前半、丸和運輸機関は大手ドラッグストアチェーンのマツモトキヨシの物流業務を受託。これが飛躍のきっかけになりました。

 和佐見 はい。これも海外視察がきっかけでした。米国ではスーパーマーケットが拡大した後にコンビニエンスストアが広がっていました。では、その次に何が来るのか、当時の私もなかなか見定めることはできませんでした。そんな中、フランスのドラッグストアを視察すると、店舗では薬はもちろん、食品まで売っていたのです。


配送だけでなく、企業の物流センターの運営も請け負う3PLで先行し、成長を続けている

 これを見て「これが日本に来たら面白い」と直感しました。当時の日本ではドラッグストアで食品を売るという発想はありません。もしかしたら、日本の薬局・薬店でもこのような光景が広がるかもしれない。そんなイメージを頭に抱きました。すると、マツモトキヨシ様が「500店舗構想」を打ち出したのです。それで営業に行きました。

 ─ 日本ではインターネットが登場したときですね。

 和佐見 はい。当時、500店舗を目指すドラッグストアはありませんでした。マツモトキヨシ様の店舗も約170店舗。そこで我々が提案したのが、「在庫ゼロ」「納品100%」「ノー検品」という3つの高サービスでした。その頃、このようなことを考える業者はいなかったと思います。結果としてマツモトキヨシ様の物流業務を任せていただきました。

 ─ この高いハードルをどのように実現したのですか。

 和佐見 この頃、米国では物流センターを管理する「ウエアハウスマネジメント」というシステムが販売されていました。その販売会社の協力を得て、従来までの問屋の下で配送をするという構造を変えたのです。その結果、ローコスト・オペーレーションを実現しました。

 ここでのポイントは配送時間を変えたことです。通常、店舗への商品配送は朝8時半から夕方の6時頃までに済ませます。ところが、当社の提案した仕組みは夜間配送でした。マツモトキヨシ様の店舗が開店する前に納品を完了させる。深夜の配送になりますから、トラックの回転数も良くなります。

 実はこの夜間配送はダスキン様の物流改革でも当社が提案しており、うまく軌道に乗っていました。そして、この夜間配送は海外のスーパーマーケットでは当たり前で、夜中に店舗での品出しをしていたのです。これがとても参考になりました。

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