2021-07-27

河北医療財団・河北博文理事長「自分らしく、生き・死ぬために患者の人生に寄り添う『家庭医』の存在が重要」

河北博文・河北医療財団理事長



「プロフェッショナル」とは


 ─ 人生の様々な場面に常に近くにいる存在だということですね。

 河北 はい。「プロフェッショナル」という言葉がありますが、キリスト教圏の国では「神学」、「法学」、「医学」を習得した人達だけがプロフェッショナルと呼ばれるそうです。

 この3つに最も共通しているのは、「人」の生命の判断を神から委ねられている人達だということです。

 神学を修めた聖職者は人が生まれた時に洗礼をし、亡くなった時には家族を含めて様々に接する人たちです。法学者は裁判で死刑の判決を行うなど、神に代わって、その人の命を絶つという権限を持っている。そして医師は日常的に人の生死に関わっています。

 人が亡くなる時には、患者と医師だけでなく、牧師や僧侶が関わりますし、法律家として弁護士さんが入って遺言、あるいは日本尊厳死協会の文書などを扱いますが、そういうことを常日頃から考えておく必要があります。先程のDNRも、本来はそうあるべきで、その準備に関わるのが家庭医なんです。しかし、日本には非常に少ない。

 ─ 欧米には多いということですね。

 河北 英国は完全に家庭医制度を採っているなど、欧州各国にはいます。米国にも「ホームドクター」、あるいは「ファミリードクター」がおり、その人の人生に寄り添うための教育を受けた人達がたくさんいます。

 ─ これはキリスト教社会と関係していますか。

 河北 そういうわけではないと思います。ただ、私はそういう習慣がないのでわかりませんが、キリスト教における教会は、若い人も含めて日常から行く場所ですが、仏教におけるお寺は誰かが亡くなったら行くような場所で、身近ではありません。今後は僧侶も日常から人の生活に関わる必要があるのだろうと思います。ソーシャルディスタンスを隔てるとき、ヒューマンタッチが必須であることを示して欲しいものです。

 ── 宗教を信仰するという意味ではなく宗教観、あるいは宗教心というのは今後ますます大事になりますね。例えば新渡戸稲造がベルギーの大学教授に日本の価値観について問われた時に考えて、日本人には「武士道」があると答えた。そういう精神性、宗教心がある。

 河北 宗教観はやはり大切です。私は何か特定の宗教を信仰しているというわけではありませんが、やはり「神」の存在はあると思っています。我々の存在を超越したもの、これが神ではないかと。

 1912年にノーベル生理学・医学賞を受賞したアレクシス・カレルが書いた『人間 この未知なるもの』という本の中にも、人間と宗教に関する話が出てきます。

 100年以上前の話ですが、カレルは当時、自分と同等と思われる科学者に「人間とは何だろう? 」と聞いて回っています。その話を集めたのが『人間 この未知なるもの』なんです。

 ─ 科学者が人間とは何かについて考えたものだということですね。

 河北 この本は私が医学生の時に、私の父親代わりだった影山圭三教授から「君達は医師になるんだったら、この本だけは読んでおきなさい」と言われて読んだ推薦図書でした。

 カレル自身が、この本はパラドキシカル・デスティニー(Paradoxical Destiny)、つまり逆説的運命を持っている本だと第2版に書いています。

 どういうことかというと、この本が古くなればなるほど、時間が経てば経つほど内容が新しくなると。その時代に必要な内容が書かれていると、カレルは書いているのです。

 ─ これはどういう意味なんでしょうか。

 河北 つまり、100年前にはカレルが言ってきたことを理解する人はいなかったと。しかし100年後に、その内容が本当に社会にとって必要になるということなんです。「人間とは何か」ということです。

 私は「医師」と言う時と「医者」と言う時がありますが、全ての「医師」は、やはり人の命の深さを常に考えて、できるだけ社会に対して謙虚にならなくてはいけないと思っています。しかし実際には、横柄な「医者」が多いのが現実です。

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