「より良き社会へ」ドラッカーとの出会い
── 河北さんはシカゴ大学のビジネススクールで学んでいますが、このことはやはりメリットがありましたか。
河北 シカゴ大学は、実は世界で最も古い「ヘルス・アドミニストレーション」という講座を持っている大学なんです。1934年にできた講座ですが、その2年後にハーバード大学に「スクール・オブ・パブリックヘルス」という講座ができています。この頃に、医療に関わるマネジメント、アドミニストレーションの課題が出てきたということです。
実は私、日本に帰国してからですが、『マネジメント』を著した経営学者のピーター・ドラッカーと2回対話をしたことがあります。
ドラッカーは、マネジメントが「金儲けだ」と言われることが全く納得できないと言っていました。「より良き社会をつくる」のが、ドラッカーが目指したマネジメントだと。
── その考え方があったからこそ、日本人はドラッカーを受け入れたわけですね。
河北 そうです。それでも、今の資本主義は投資家のウォーレン・バフェットや、さわかみ投信の澤上篤人さんなどに言わせれば、あまりにもひどい資本主義になってしまった。
そうしたものに疑問を感じておられたのが、経済学者の宇沢弘文さんだと思います。宇沢さんは「社会的共通資本(Social Overhead Capital)」と表現しましたが、そういう概念が資本主義の中になければなりません。
「日本の資本主義の父」と言われる渋沢栄一が、まさにそういう考え方を持っていました。
私は06年に、渋沢栄一の功績を称え、その精神を受け継ぐ経営者を表彰する目的で創設された「渋沢栄一賞」をいただきました。これは一つの名誉だと思っています。
民間でできること、国でできること
─ 渋沢栄一が説いた「私益と公益の両立」、近江商人の「三方よし」など日本は古来より持っている精神性ですね。
河北 はい。しかし今は、米国を中心に一部の人間がごそっとお金を持っていってしまっていますし、一部の富裕層は所得税も支払わずに巨万の富を築いている。こんなおかしな話はありません。
── 今、格差の拡大が大きな課題となっていますが、背景にあるのは、この問題ですね。
河北 そうですね。ただし、例えば米国で個人の寄付が年間にいくらあるかといえば約30兆円です。一方、日本は約6000億円です。
── 社会の成り立ちが違うということですね。米国の大学の経営も寄付で成り立っている面があります。
河北 同時に、それをもっと大きく社会病理的に、税金で納めることと、個人の意志で様々な事業が行われることとを考えてみると、社会の様々な事業はほぼ全て民間でできます。それが民営化です。民間でできないものといえば、例えば軍隊の組織化や、警察の仕事の中核的部分です。
日本が民営化してきた事業は、例えば国鉄や電電公社、最近では郵便事業などがありますが、中途半端で終わっているものもあります。
ですから、民間でできる事業、あるいは税金の役割とは何なのかを、本当はもう少し政治が考えるべきだと思います。
日本の国の予算が約103兆円ですが、その行き先はほとんど決まっています。社会保障費のうち国の負担は約30兆円、地方交付税が約15兆円、それ以外に借入金の返済、国債費が約28兆円ですから、100兆円規模の予算を取っても、政策的に使うことができるお金は約30兆円しかないのです。
この金額に相当する金額が、米国では個人の寄付で成り立っているということを、もっと日本人は考えるべきだと思います。
─ コロナ禍では、日本のデジタル化の遅れが顕在化しましたが、この問題をどう考えていますか。
河北 今回、日本のデジタル化は最低だということが明らかになりました。一方、圧倒的に進んでいたのはイスラエルです。常に臨戦状態にあるということですね。(続く)