建設のデジタル化を含め建設業の高みを目指す!
─ この4月から新たな中期経営計画をスタートさせていますが、改めて鹿島をどういう会社にしていきたいと考えていますか。
天野 昨年亡くなりました、当社の鹿島昭一相談役が目指していた、開発、エンジニアリング、設計、施工、維持管理という建物の一生に関わることができる多機能な会社を目指すという方針を継続しながら、できる限り高みを目指していきたいと考えています。
─ 全産業的にデジタル化が課題ですが、どう取り組んでいこうと。
天野 今、当社は土木工事において、建設機械の自動化技術を核とした次世代の建設生産システム「クワッドアクセル」を開発し、秋田県の「成瀬ダム堤体工事」などで活用しています。
これまではベテランの、熟練したオペレーターが建機を動かしてきたわけですが、彼らがどういう軌道で機械を動かしているのかをデジタルで記憶して、自動で再現できるようにする。
将来に向けて、月での無人での施工による有人拠点建設に向けてクワッドアクセルの活用を検討していますが、足元では造成工事で使用することになります。
それ以外にもデジタル、ITを活用し、建築における鉄骨の自動溶接、建物内の自動搬送などで自動化を進めています。建設作業員の方々が、今後さらに不足していきますから、その負担を減らすのは必然の方向だと思います。
─ この分野で日本の技術は世界の最先端を行っている?
天野 そう思います。ただ、AI(人工知能)などは、やはり米シリコンバレーや、先程申し上げたシンガポールなどの方が進んでいます。今後は現地で他社との共同研究や情報交換を進めて、WIN・WINの関係を築くようにしていく必要があると思っています。
─ コロナ禍を受けて、リモートワークなど新たな働き方も浸透しつつあります。
天野 先日もアイルランドのお客様とウェブを通じて会話をしましたが、今はコロナ禍で外に出られない、あるいは会えない状況の中で、現場も含めてビデオ会議の便利さを再認識しましたね。
ただ、我々建設業は労務と成果がかなり正比例します。アイデアを出して、その日の成果が出たら、それでよしという形にはならないんです。やはり朝8時から夕方5時までの作業量で出来高が決まる。コロナ禍の中で「エッセンシャルワーカー」(社会生活を送る上で欠かせない仕事に携わる人)とも言っていただいたのは、こういう側面があるからだと思います。
これは未来永劫変わらないことだと思いますから、その性質上、破壊的イノベーションが起きにくい業界ではありますが、やはりIT化、デジタル化を進めていかないといけません。まずはウェブとビデオ会議でできることはどこまでか、やはり現場でフェイス・トゥ・フェイスでなければいけないのは何なのかを再認識するいい機会です。
浜松、横浜での工事から学んだこと
─ 天野さんは大学院で建設工学を学んだわけですが、建設を選んだ理由は何でしたか。
天野 まず数学の方が成績がよかったことで理数系を選んだわけですが、その中で機械や電機などがある中で建設がいいなと思ったのがきっかけです。当時は社会的に建設が注目されて勢いがあり、就職先としても人気がありました。
今はそういう状況にはありませんから、いかに優秀な学生に入ってもらうかは課題です。ただ、ITが主流になる世の中で、建築・土木から学生の関心が離れている傾向が見えます。我々は工場を持たず、資産はやはり「人」ですから、人材獲得には注力したいと思っています。
─ これまで携わってきて記憶に残る仕事にはどういうものがありますか。
天野 一つは静岡県浜松市の「アクトシティ浜松」です。ホールやホテル、商業施設などが入り、建築費は約1664億円と当時の鹿島で一番の超大型プロジェクトでした。
当時、押味(至一)会長が、超高層ビルを担当する課長でした。工区が4つあったのですが、私は後方で現場事務所や食堂づくりから、竣工後のメンテナンスまで、全ての工事の調整業務に携わりました。物量といいますか、工事の大きさを体感しましたね。
また、浜松の前に38歳で初めて、横浜の飲料工場の工事で所長を務めました。50億円のプロジェクトでしたが、経験が浅かったこともあり、非常に厳しい経験でした。
当時、当社では30代で所長を務めるというのは異例のことでした。ただ、バブル経済期で工事も多かったですから、会社としては年齢的には少し心配だけどもやらせてみようということだったのだと思います。
─ この経験から何を学びましたか。
天野 所長は、ある意味で後ろに誰もいませんから、技術、マネジメントの経験が浅い中ではありましたが、やりがいはありました。途中、一部工事のやり直しなどもありましたが、最終的には工期を守ることができ、お客様にご評価いただけて嬉しかったことを覚えています。