2021-09-29

【自民党総裁選】新首相はまず、 国のビジョンをこそ!


トルコとの友好に…


 今から約130年前、1890年(明治23年)9月、当時のオスマントルコの軍艦エルトゥールル号が日本に派遣された。友好使節を乗せ、明治政府との親善を深めた後、帰路に就き、和歌山・串本町に差し掛かったとき、台風に遭遇。船は岩礁に乗りあげ難破し、乗員600人超が海に投げ出された。

 事故を知った串本の西側にある大島の約2千人の住民たちは嵐の中、救助に向かい、結果、69人が救われた。このことを知ったトルコの人たちは嵐の危険な中で、日本の地方の住人たちが労を惜しまずに救助に向かってくれたことに恩義を感じてくれている。以来、130年余、トルコと串本町、ひいては日本政府との友好親善関係は今も続き、慰霊祭が催されている。

 海難事故から95年後のイラン・イラク戦争で在留邦人約215人がイランの首都・テヘランに取り残されたとき、いかに邦人を救出するかが課題となった。いつイラク(当時:フセイン大統領)がテヘランをミサイル攻撃してくるか判らないという不安の中で、日本国内では「飛ばすのは民間機か自衛隊機か」という議論が起こっていたが、結局、どちらも飛ばせず、在留邦人はどん底に落とされた。

 そのとき、救援の手を差し伸べてくれたのがトルコ政府であった。専用機2機をテヘランに飛ばし、トルコ経由で日本人全員を無事、救出してくれたのである。トルコ国民は「エルトゥールル号で受けた恩を今こそ……」という思いであった。

 こうした両国の信頼関係は、置かれた状況下で自分たちは何ができるかを考え、それを実行するという覚悟の下で構築。

 アフガンの問題は国のあり方と共に、危機管理の手立てをどう構築し、実行するかという命題を突き付けている。アフガンでは日本人医師・中村哲さんが現地に入り、医師活動から出発。アフガンの自立には「まず食料確保」という観点から農業支援が大事として、自ら水路建設に当たってきた。その中村さんは一昨年、凶弾に倒れた。

 いつ危難が我が身に及ぶのかも判らない中で、中村さんが身を投げ打ってアフガンで生き抜いてきたことを現地の人たちは敬意を持って受け止めてきた。

日本の生き方が問われている


 いま、国際秩序が揺さぶられている。米国が世界をリードし、「世界の警察官」として安全保障面でも大きな役割を果たしてきた時代が終わろうとしている。

 一方、中国が米国に次ぐ世界第2位の経済大国となり、社会主義市場経済でここまで来たが、課題も抱える。人口減・少子化という人口動態の変化、そして沿岸部と内陸部との格差などのマイナス要因にどう対応していくかといった課題である。

 米国もまた所得格差などの問題を抱え、デジタル化の進展の中で、ある人は富み、ある人は低水準の生活に追い込まれるという二極化。米国の相対的な地位低下は1980年代のベトナム戦争敗北等を経て始まった。

 その後、レーガン大統領が登場。規制改革で米経済をテコ入れし、90年代にはネット革命を受けて、シリコンバレーでIT企業群を構築し、GAFAなど世界経済に大きな影響を与える企業を輩出した。一方で、今は所得格差、人種差別という問題も顕在化させている。

 米中という経済大国同士が対立する中で、日本の立ち位置をどう図るか。そして人口減・少子化、地方の過疎化が進む中で、日本国内での活力をどう取り戻すか。政治・経済両領域のリーダーの役割と使命は重い。

 コロナ危機の感染者は縮小傾向であるが、ミュー株など新たなウイルスの出現もあり、先行き不安感は拭えない。医療崩壊を防ぐ手立てをとり、経済再生へ向け、国民のヤル気を引き出すときである。日本の動向を世界中が見つめている。

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