2022-06-24

【貨物船に”凧”を装着】川崎汽船・明珍幸一社長「海運のプロとして社会の低・脱炭素化の流れに対応していく」

みょうちん・ゆきかず
1961年東京都出身。84年東京大学文学部卒業後、川崎汽船入社。2010年コンテナ船事業グループ長、11年執行役員、16年取締役常務執行役員、18年当社代表取締役専務執行役員などを経て、19年より現職。

「過去と同じ轍を踏まない」――。海運大手・川崎汽船社長の明珍幸一氏は社内にこう呼びかけている。需給の改善に後押しされて好況の海運業界。2022年3月期連結決算の業績は、川崎汽船も8割を超える売上高純利益率を達成したが、明珍氏は2010年代の不況時に被った反省を生かし、低・脱炭素化対策で次の手を打っている。コロナ禍という荒波を乗り越えた同社が目指す“巡航速度”時の経営とは?

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コロナ禍の感染対策で1年以上乗船し続ける乗組員も


 ―― 海運業界は順調ですが、コロナ禍に加えてウクライナ問題と先行き不透明な状況が続いています。現状認識から聞かせてください。

 明珍 コロナは海運会社にとって2つの影響を与えました。

 1つ目が感染症対策です。閉ざされた空間である船の中で二十数名の乗組員は何カ月も一緒に世界各国の港に行きます。船員には本船乗船前に必ずPCR検査を受けてもらい、当社の場合は2週間、隔離します。そこで陰性を確認した上で本船の乗組員を交代させるのです。

 本船の乗組員は基本的に3カ月から6カ月で交代するのですが、各国で感染症対策も異なり、中には外国人の乗り入れを認めない国もあります。そうなると、船を別の港に寄港させなければならないケースも出てきます。

 当社の船員はフィリピン人が多いのですが、10カ月以上の長期にわたって乗船し続ける船員が一時期、1000人を超える状況となり、乗下船の為にフィリピンへ臨時寄港するなどの対応を行いました。

 ―― 船員のやりくりが大変だったわけですね。

 明珍 ええ。当社の船員は6500人ほどいますが、この乗組員の安全と健康を確保しなければなりません。しかし、やはり感染は起きてしまう。それでも当社は、船を1日たりとも止めないという姿勢を貫きました。

 人々の生活を支えるライフラインとしての海運の重要な役割を果たし、社会インフラのチェーンの一部を担うものとして、この任務を全うすることが使命であると考えているからです。

 こういった姿勢を徹底することで、当社のお客様である鉄鋼会社や電力会社が扱う資源を安定的に継続して輸送することを通じ、私どもに対する期待や信頼も感じることができました。

 ―― 一方で課題もあったと。

 明珍 はい。ご要望のスケジュール通りに荷物を運べないケースがあったことです。この原因は主にコロナ禍での感染症対策に起因する労働力の不足です。特に米国では感染を懸念して現場での労働を避ける人が増えました。米国では失業給付金を配布され、一定の所得を得た人たちが現場に戻ってこないという状況も生まれたのです。

 これによって我々の船が米国の港湾に到着しても、荷物の積み下ろしを行う作業員が足りないといった状況が発生し、サプライチェーンの混乱につながっていきました。入港に1週間も2週間も待たされた船が一時は100隻近くに上りました。

 コト消費からモノ消費への移行で、一般消費財や食品など様々なものをネットで買うようになり、輸送需要が大幅に増加しました。しかしながら、その注文されたものを運ぶ人が不足するという状況になったのです。その影響が顕著だったのがコンテナ船です。

 ―― 需要が供給を大幅に上回る状況になりますね。

 明珍 そうです。結果的に供給が締まった形になり、これによって特に短期のスポット運賃が高水準で推移しました。その結果、当社の2021年度の業績も史上最高益になりました。ただ、我々としては安定した輸送を担うことが使命です。

 その点では、非常に心苦しく申し訳なく思っており、ONE(日本の海運大手3社が共同出資するコンテナ船事業会社)としても、追加の本船やコンテナを投入するなど事態の改善に向けて全力で取り組んでいるところです。

 ―― この状況は今後も当分続くと見ていますか。

 明珍 一応、私どもの見立てとしては夏場以降、徐々に回復してくるだろうという前提で、22年度の収支見込みにおいて経常利益は4700億円という数値を発表しています。特にコンテナ船は夏場以降、混乱が収束し、徐々にコロナ前の水準に戻ってくるだろうと見ています。来年度の春頃には元に戻るのではないかと予測しています。

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