2023-02-03

凸版印刷社長 麿 秀晴 の〈『受注型』から『創注型』への事業構造改革〉

麿秀晴・凸版印刷社長

「TOPPANのこと、印刷の会社って思ってません?」─。俳優・大泉洋がこう問いかけるCMが目を引く。その凸版印刷は今、事業構造改革の真っ只中。紙媒体の印刷が主力だったが、既にその売り上げは3分の1弱。デジタル活用のBPO(企業の業務プロセスを一括して外部に委託するアウトソーシング)などの情報サービス事業が大半を占め、今後はメタバース(仮想現実)などに注力する。社長の麿秀晴氏は「お客様の課題を解決するソリューションが求められている」と強調する。今秋には持ち株会社化への移行も予定。この時期に事業構造改革を進める狙いを聞いた。

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セキュリティをしっかり担保

 ─ 社長就任から約3年が経ち、グループ再編も進めています。その理由とは何ですか。

 麿 2021年に発表した中期経営計画は、本来は3カ年間の計画でしたが、コロナ禍を受けて2カ年に短縮し、構造改革を含めた新たな事業の種まきを進めてきました。そしてその2カ年で完結させた内容を次の3カ年で刈り取りしていきます。

 それに伴ってグループ再編も行っていきます。23年10月にはホールディング化を計画していますし、それに先駆けて4月1日に凸版印刷セキュア事業部の事業を子会社のトッパン・フォームズに継承し、「TOPPANエッジ」という新会社となって大きな柱にしていきます。

 社名の通り、エッジを利かす、裾野を広げるという意味合いも込めて、これまで各社でやってきたデジタルトランスフォーメーション(DX)をまとめ、各社が持っているお客様のアセットやテクノロジー、人材も含めて一緒に活用し、競争力を強くしていく狙いがあります。

 ─ 今は顧客の求めるソリューションをいかに提供できるかが勝負になっています。

 麿 はい。ですから、尖ったサービスが必要です。私どもはこれまでのペーパーメディア事業でもBPOでもそうでしたが、お客様からお預かりした情報を外に漏らさないというセキュリティをしっかり担保してきた歴史と強みがあります。

 ─ 創業時から守ってきたことが強みになっていると。

 麿 そうですね。当社は1900年に大蔵省印刷局の若手技術者が立ち上げたベンチャー企業でした。お札の偽造防止の技術からスタートし、その技術を株券などのセキュリティ系の印刷にも生かしてきました。そして今では銀行のキャッシュカード、宝くじ、金券などの製造にも広がっているわけです。

 これはモノだけではありません。情報もそうです。デジタル化した情報を守るセキュリティ性がないと、お客様も預けてくださいません。メタバースなどでもビジネス利用では情報が本物か偽物かという真正性の担保が一番の肝になります。

 そういう意味では、この2年ぐらいで仕込みをして新しい組織体制を整え、来期に向けたスタートのベースができてきたと思っています。


行政業務を支えるセキュリティ

 ─ 見えるサービスと見えないサービスの比率は今後どのように変わっていきますか。

 麿 見えるサービスとしてのペーパーメディアの売上高は既に全体の3分の1を切っています。他は情報サービスやDX関連、エレクトロニクス、包装や建装材事業などになります。

 当社に対して紙の印刷屋さんのイメージが強いと思うのですが、実は紙の印刷物は約1兆6000億円の売上高のうちの5000億円ほどに過ぎません。

 ─ もはや情報サービス産業と言った方が適切ですね。

 麿 おっしゃる通りです。セキュリティを担保したビジネスは、デジタルの世界はもちろん、アナログでも展開できます。

 例えば、コロナ禍で地方自治体などの行政さんからワクチン関連のお仕事も頂戴しました。単に申込用紙や封筒を印刷するだけではありません。

 それ以前に大事なことは自治体さんからデータをお預かりして、それを安全にマネージメントすることです。このデータは個人情報の塊ですからね。その情報を基に申込用紙や接種券などを印刷し、それを封入して市民の皆様にお届けするところまでを手掛けています。

 ─ 事業に幅があると。

 麿 はい。例えば接種会場設営や運営も、これまでの販促イベント等の受託で培ったノウハウで対応できます。さらにグループにはコール業務の会社もありますので、ワクチン接種に関する業務をトータルで当社がお受けすることができました。

 ─ 業務ごとに各社に依頼する必要はなく、一気通貫で対応することができると。

 麿 トータルで対応することができます。ただ、その根っ子には「凸版印刷にデータを渡しても大丈夫だ」という創業122年にわたって培ってきた信頼やセキュリティ性の担保があります。

 ですから、印刷業といってもペーパーメディアだけではなく、むしろそこで培ったノウハウがデジタルやトータルサービスにつながっていることを知っていただきたいですね。

 ただ、当社がお客様の前に出ることはほとんどありません。後ろ側でサポートするというのが受注産業の生業でもありますからね。それでも今後はDXやフードロスの削減、キャッシュレス、メタバースなども当社のビジネス領域に入ってきます。


「受注型」から「創注型」へ

 ─ 昨今では「受注型」から「創注型」にビジネスモデルを変えようとしていますね。

 麿 はい。今まではお客様のニーズを聞いて、そのニーズを満たすために当社が追いかけていくだけでした。しかし今後はニーズを先取りして、もっとサービスの質を上げて付加価値を高めなければなりません。

 そうなると、私どもがお客様と一緒になって情報の共有化から始め、コンサルティング的なアプローチが必要になります。その意味でも、まさに創注型に切り替えていかなければなりません。

 ですから事業構造としても2021年3月期の売上高ではDX事業と海外事業で全体の4分の1を占めていますが、26年3月期には新事業も含めたこの3事業で売上高の過半、DX関連だけで3割を占める構成にしていくことを目標としています。

 ─ グループで社員は約5万5000人。生産性を上げていくことも重要ですね。

 麿 その通りです。私がもったいないなと思っていたことは、今まではそれぞれの会社が自分たちのフィールドで一生懸命に頑張っていました。それぞれがスペシャリストになっていたわけですが、それは自分たちの領域だけでした。

 しかし、もっと各事業の強みを掛け合わせて横串を刺していけば、もっとスキルが上がり、サービスモデルのクオリティが上がるはずです。

 ─ 持ち株会社化も、そうした狙いがあるのですね。

 麿 はい。ポートフォリオの変革を更に加速するためには、今まで個別でやっていたマーケットのセグメントだけではもったいない。世の中がDXというキーワードでつながってきていますから、データで連携し、強みは横串を刺してマーケットのニーズに応えていくと。

 仕事を創注型に変えていくという非常に大事なタイミングに来ていますので、これができなければ成長戦略は描くことはできません。

 ─ そう思う理由とは。

 麿 例えば、あるお客様には凸版印刷もトッパン・フォームズも担当者が通っています。凸版印刷はセールスプロモーションの宣伝部隊や企画部隊が、トッパン・フォームズは事務方のシステムの受注です。

 同じお客様なのに違う部署に通って、それぞれの決まった仕事を受注してきていました。しかし、お客様の望むものはトータルソリューションであり、サービスモデルや付加価値など当社が気付いた課題解決策の提案です。もしそこで我々がつながっていけば、お客様は1つの窓口でトータルでのソリューションを受けることができます。

 ─ 「つなぐ」がキーワードになるということですか。

 麿 そうですね。コロナが今回よりも3年前に蔓延していたならオンラインミーティングもありませんでしたから、もっと経済はダメージを受けていたと思います。しかし、デジタル技術が進化してきたお陰で、今の状態で収まっている。テクノロジーを使わない手はありません。

 もちろん、そのテクノロジーは自分たちでも開発しなければなりません。情報がつながり、新しいサービスモデルができ、結果的にポートフォリオが変わっていく。逆に言えば、それができないと会社は存続できない。その危機感を共有することが大事だと思っています。


「GLバリア」はシェア3割強

 ─ まさに印刷業の枠を〝突破〟するということですね。さて、麿さんの出身は宮城県の古川で、山形大学では高分子化学を専攻していましたね。

 麿 ええ。1年目の学生時代は教養学部で山形市内にいて、2年目から工学部のある米沢に通いました。その後、凸版印刷に入社し、最初の配属先が山形営業所。私の希望は営業でした。もともと私は技術屋でしたが、当社は受注するところから仕事が始まります。ですからまずは営業をやるべきだと思い、営業を希望しました。

 ─ 山形営業所時代に学んだこととは何ですか。

 麿 受注の規模で言えば、山形は東京や大阪に比べれば小さい。しかし、新人でも経営者の方と直接話ができました。まさにコタツに入ってじっくりと話を聞くことができたのです。そこでお会いした社長さんは従業員を大切にする人ばかりでした。

 株式会社とは株主をはじめとしたステークホルダーを大事にしなければなりませんが、一方で家族経営であったり、従業員に対する想いだったり、社会に対する想いだったり、皆さんがそれぞれ経営哲学を持っていらっしゃいました。そういった話を直接聞くことができたのは貴重な経験だったと思います。

 ─ 技術屋という点ではフィルムの開発がありましたね。

 麿 はい。いずれはワールドワイドのパッケージのビジネスをしたいと思っていました。その後、1992年からパッケージ事業本部に配属となり、「GLバリア」という透明蒸着バリアフィルムの開発を担当することになりました。

 今ではGLフィルムの透明バリアのシェアはワールドワイドで3割強です。当時は環境問題に対する関心が今ほど強くはなかったのですが、ドイツのデュッセルドルフで行われた展示会を視察し、生分解性プラスチックなど、パッケージでの環境対応の取り組みが当たり前になっていたことに衝撃を受けました。

 そこで帰国後、開発をスピードアップしなければと思い、力を入れました。自分で開発した製品を自分で売りに行ったりしましたね。しかも、実機を使わないとテスト生産できなかったので、夜中に機械が空いたときだけ使わせてもらって。工場に泊まり込んで作業着のまま床に寝たりしました(笑)。それが今では競争力のある商品になっているわけですから嬉しいですね。

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