2023-02-06

【追悼】信越化学・金川千尋さんを偲ぶ

金川千尋・信越化学工業会長

世界で存在感のある日本企業に─。塩化ビニール、そしてシリコンウェハーで世界一になった信越化学工業会長・金川千尋さんが、年が明けた2023年1月1日、96歳の大往生。

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 同社を高収益会社に育て上げたのが、塩ビで世界最大のシェアを持つ米国子会社のシンテック社。金川さんの経営者としての成功は同社設立と関わる。

 1978年(昭和53年)、シンテック社長に就任。米国テキサス及びルイジアナ両州に製造拠点を持ち、「中南米始め世界各地の相場を毎日チェックする」経営で、信越化学は成長路線を確実なものにする。

 信越化学本体の社長に就任するのは1990年(平成2年)。2010年会長に就任した後も高い存在感を示してきた。

 信越化学の市場からの評価も高い。時価総額は6兆7660億円(1月)と断トツ。総合化学で売上高首位の三菱ケミカルグループ(同・1兆334億円)の7倍近くに上る。

 塩ビという汎用品で、かつては大半の化学会社が生産していたが、石油危機などを経て、塩ビは一時期構造不況業種となり、撤退するところが相次いだ。信越化学は、その石油危機時に逆に塩ビ強化に向かっていく。

 勝負時だと判断した時に他社とは一味違う行動。それを率先垂範したのが金川さんであった。

 第一次石油危機の73年、米国にシンテックを設立した時は、塩ビ製パイプの旧ロビンテックと合弁を設立。ロ社の社長は元プロ野球選手という異色経営者。

 自家用飛行機を2機所有するなど飛ぶ鳥を落とす勢いの会社。その社長から「シンテックもプライベートジェット機を買ったらどうか?」と言われたが、金川さんは「シンテックは自転車で十分です」と断った。以来、ついたあだ名が〝ミスターバイシクル〟。

 間もなくロビンテックは経営から手を引き、信越化学が完全子会社にしたという経緯。

 それでも、米国事業で感じたことは「アメリカ人はいいものはいい、悪いものは悪いと、公平に評価すること」と金川さん。

 生産性の向上に常に腐心していた金川さんにとっては、行動しやすい風土だったのかもしれない。そのアメリカで「シンテックは景気や業績を理由に一度も社員をレイオフしたことがありません」と語ってきた。

 困難から逃げず、自ら考え、学び、真剣に仕事に取り組むという真骨頂の発揮である。

「自分は小田切新太郎社長(当時)を始め、素晴らしい人達に恵まれ、思い切り仕事をさせてもらいました」と人と人のつながりに感謝の気持ちを吐露。

 1926年(大正15年、昭和元年)、朝鮮半島生まれ。旧制六高時代に柔道に打ち込み、「気絶するまで締め技をかけられる練習だった」と懐かしそうに語っていた。何事も諦めない精神は、この時培われたのかもしれない。厳しい環境下を生き抜く経営者であった。

合掌

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