2023-03-09

【アサヒグループホールディングス】小路 明善会長が語る「今年は日本経済復活のターニングポイントの年」

小路明善・アサヒグループホールディングス取締役会長兼取締役会議長

「日本の国益を明確にして国民と共有し、経済力を高める。そのためにも官民連携が重要になる」─。このように強調するのはアサヒグループホールディングス会長の小路明善氏だ。「失われた30年」で日本経済は停滞し、賃金も横ばいが続く。しかし、コロナ・ウクライナ両危機で環境は激変。物価高が押し寄せ、米中対立も続く。日本の生き方、そして日本人の働き方はどうあるべきか。社長時代にグローバル化を推進した小路氏が日本再生に向けた提言をする。

日本経済団体連合会・十倉雅和会長「構造的な賃上げを含む、『分厚い中間層』の形成を!」


「海図なき航海」の時代へ

 ─ 小路さんから見た22年の総括から聞かせてください。

 小路 まずはコロナの感染拡大の波が何度も迫り、なかなかパンデミックは収まりませんでした。そんな中で22年2月からロシアによるウクライナ危機が勃発。戦争によってまさに国際秩序が崩壊しました。それが1つの引き金となって円安基調に入り、日本にとっては久しぶりの高物価になりました。

 この中でウクライナ危機や為替問題では、振り返ってみると、変化の兆しはあったのではないかと私は思うのです。ウクライナ危機では、かつてのロシアの領土であり、旧ソ連邦の主要都市であったことに加え、プーチン大統領の生い立ちも考慮すると、今回の危機は当然の成り行きだったとも言えます。

 為替問題でもウクライナ危機でサプライチェーン(供給網)が混乱し、物が届かなくなれば供給不足になり、物の値段も上がっていく。当然、日本の金利と海外の金利差が円安を招く。こういった兆候は一昨年から徐々に出てきていたわけです。

 ─ そういった予兆をどこまで掴み取れるかですね。

 小路 ええ。我々のような経営者は、この変化の兆しや変化の予兆を見逃さないことが重要です。変化の兆しがあったのなら、どういう状況でそれが顕在化し、ビジネスや社会生活にどういう影響を及ぼすのかを加味したリスクシナリオを作っておくことが大事だと思います。

 そして、いくつかのリスクシナリオを作ったら、それに対してクライシスマネジメントを作っておくと。時代は文化の時代から変化の時代へと変わっています。これからは「何が起こるか分からない時代」から「必ず何かが起こる時代」へと変わっているのです。ただ、その何かがどういうものであるかは分からない。

 その意味では、我々のような経営者は「海図なき航海」を強いられている船長です。海図がない航海とは、どこに岩礁や海流があり、どこのエリアの海流が南海流になっているか、どこにいったら暴風圏に入るかが、分からない中で航海を続けていかなければなりません。

 ─ より一層、経営トップに求められる危機管理能力が問われてくるとも言えますね。

 小路 ええ。そこで大事になってくるのが先ほど申し上げた変化の兆しをいかに早く掴みとるかです。海の色が濃い緑色から薄い緑色に変わったら浅瀬に入って来たなと。浅瀬に入ってきたということは、岩礁で座礁する危険がある。だから足元をしっかり見なければならないと。

 そしてもう1つ大事になってくるのが「直観力」です。これは経験に裏付けられたものになりますが、瞬時に判断するときには、もはやデータを集めている時間はありません。経営トップが自身の経験に裏付けされた直観力で何が起こるかを判断していかなければなりません。

 歴史は繰り返すと言いますが、経験を長くした人たちが、繰り返されるこれからの歴史に対して過去の直観力を活かすと。ただ、同じ時代は2度と来ません。だからこそ、直観力を働かせなければ生き残れないのです。


5つの方策

 ─ それでは経営トップの組織との関わり方はどうあるべきですか。

 小路 少し矛盾するかもしれませんが、1人の判断だけでは難しい部分があります。トップが自身の直観力を働かせつつも、英知衆知を結集し、パワーに変えていく。前に進む力に変えていくことが重要です。

「ダイバーシティ(多様性)」「エクイティ(公平性)」「インクルージョン(包括性)」を含めてDEIとも言われますが、いろいろな角度から物事を見て、英知衆知を力に変えるという力をトップは持たなければいけません。

 ─ その中で、23年はどんな年に位置付けられますか。

 小路 23年は日本経済復活のターニングポイントの年にしていかなければいけないと思います。日本はこの30年間、賃金も横這いで、GDPも中国に抜かれました。つまりは、景気停滞をしていたということです。

 確かに、デフレからの脱却は若干あっても、それは円安によって一部の企業の利益が膨らんだだけに過ぎません。ですから私は企業の業績が良くなって有効求人倍率が上がり、本質的かつ根本的に日本経済が上昇気流に入ったとは見ていません。

 だからこそ、23年は本格的な日本経済の上昇気流のターニングポイントの年にしていかなければならないと思うのです。

 ─ この根本的な認識を官民で共有しなければなりません。

 小路 その通りです。ですからまずは日本の国益とは何かということを官民一体となって明確にしていく必要があります。国益とは何かを国民と共用し、国益の維持発展のために経済力を高めていくことが非常に大事になってくると思います。

 ─ 具体的な方策とは?

 小路 5つあります。

 1つ目は「技術立国の再興」です。特に最先端環境技術の確立と向上は欠かせません。政府は30年度の再生可能エネルギー比率を全体の36~38%に引き上げる目標を示しています。

 それに伴い、グリーントランスフォーメーション(GX)に今後10年間で150兆円の官民投資が必要だと試算しています。これは今後の世界的な潮流から見ても大変重要な取り組みになるでしょう。

 例えば当社の事例で言えば、18年にアサヒビールの茨城工場の排水由来のバイオメタンガスを精製して燃料に使う発電システムの開発に成功しました。要は、工場の廃液からメタンガスを取り出し、そのメタンガスを使って発電するわけです。

 このメタンガス精製技術は本来であれば特許をとれるものですが、国内外を問わず、他社にも使っていただきたいと考え、特許は取っていません。工場はどこにでもありますから、自家発電することで、エネルギーの自給自足ができます。

 ─ 最先端の環境技術が確立できれば新たな産業も生まれます。

 小路 そうです。最先端の環境技術は脱炭素に繋がり、それに付随する蓄電池が新しい産業になってきます。さらにそういった産業が経済を引っ張って行くと。かつて日本は繊維産業で世界を席捲しましたが、それが他国に負け、家電製品や造船、鉄鋼でも負けてしまった。

 つまり、日本が世界に誇る技術がなくなってしまったのです。特許件数も11年までは日本が世界で首位でしたが、今では中国と米国に抜かれて3位です。しかし、環境技術であれば再び日本が返り咲ける可能性があります。この特許をはじめ、商標権や実用新案、意匠権などの「知的財産」が2つ目です。

 ─ 3つ目は何ですか。

 小路 「デジタル技術・DX(デジタルトランスフォーメーション)戦略」です。これは全ての企業がまさに取り組んでいるテーマでしょう。

 次の4つ目が「観光立国」です。政府は30年に訪日外国人数を3000万人にするという目標を取り下げていません。コロナでダメージを受けましたが、やはり日本にとって欠かすことはできません。


何を、誰が、どう守るか

 ─ その理由とは?

 小路 日本の魅力とは単に観光だけではありません。食もあり、伝統芸能もあり、四季もある。この日本の魅力をしっかり打ち出してインバウンドを増やし、アウトバウンドも増やす。そうすれば、消費額が増え、GDPも上がっていきます。

 最後の5つ目が「クリエイティブ・エコノミー」です。日本の文化芸術を世界に展開していくべきです。韓国では「K―Pop」と呼ばれる芸能が日本でも人気ですし、日本でもソニーグループさんや任天堂さんのゲーム機が世界を席巻しています。それと同じように、日本の芸能や芸術をもっと世界に広めていけば大きな産業になります。既に豪州ではクリエイティブ・エコノミーを謳っています。

 ─ 具体的な取り組みを進める上でも国益とは何かという認識の共有が大事ですね。

 小路 その通りです。その点、日本にとって大切になるのが防衛意識の共有です。何を、誰が、どう守るかという防衛に関する1丁目1番地を与野党でもう1回議論しなければなりません。

 また、何を守るかで言えば国益です。国益とは、国土であり、生命や財産であり、主権、自由、政治体制です。そもそも国益を定義していないのはG7でも日本だけなのです。「自分の国は自分で守る」という当たり前の意識と守り方を討議し、共有を図っていくことが重要です。

 ─ 日本国民も「国を守る」という認識が薄れていますね。

 小路 はい。少し古いデータになりますが、「国のために戦うか?」というアンケートに対し、「はい」と答えた人は13%。「国を愛するか?」という問いに対して「はい」と答えた人は39%に過ぎません。こんなに低い国は他にありません。こういった認識を改める必要があります。

 例えば国を守るという認識は家庭に置き換えても良いと思うのです。「あなたの家庭は誰が守りますか」と。家族の生命や財産、自宅を家族全員で守るわけです。それが基本中の基本です。このように、まずは自分の身近な生活に落とし込んでみると、国とは何かということが誰もが分かってくるのではないでしょうか。

 ─ 家族という観点で言えば、少子化や単身世帯の増加など様々な変化が起きています。

 小路 内閣府の調査によると、日本人は自己肯定感が他国と比べても総じて低いのです。「うまくいくかわからないことに意欲的に取り組む」ことに対しても低いですし、社会形成・社会参画によって社会現象を変えられるかもしれないと思っている人も少ない。自らの将来に対するイメージも比較的低い。

 ─ 漠然とした不安を抱えているということでしょうか。

 小路 そうかもしれません。賃金も30年間ずっと横這いで物価も上がらなかった。所得格差が広がってはいるものの、分厚い中間層は何とか生活していくことができた。それだけできればいいという消極的満足感に陥っていたのかもしれません。

 さらに最近になって北朝鮮からのミサイル発射が頻発してきましたが、紛争もなく他国からちょっかいを出されることも少ない。だから防衛問題に関する論議もしてこなかった。何とか生活できて困っていないというところで、達成意欲や欲が少しずつ失われてきてしまったのではないでしょうか。


経済人、そして日本の役割とは

 ─ そのときの経済人の役割は何だと考えますか。

 小路 日本経済を復活させることです。日本経済の復活の主役は経営者であり、経済人です。

 私自身、社長時代に思っていたことはビジネスはボーダレスであるということでした。特にビールビジネスでは境界線を引く必要はない。他の国でも同じような流通ルートで、同じような製品を売るのなら、日本で境界線を引くのではなく、インターナショナル、さらにはグローバルな地域のビジネスを順次展開していけばいい。そう考えてグローバル化を展開しました。

 ─ その中で経済安全保障という考えが出てきました。ここはどう考えていきますか。

 小路 日本は西側諸国の一員ですが、中国との関係で言えば、西側諸国の一端だけを前面に押し出してもいけません。日本は西側と東側の結節点にあります。この結節点になることが日本のグローバルでの役割だと思うのです。これはビジネスにおいても政治においても同じだと思います。

 そして私はそういった力が日本にはあると思うのです。経済力もあり、非核三原則も持っている。そういった面からすると、日本は東と西にとって対等に対話ができる国ではないかと。もちろん、緊張感が要求されますが、日本が古来から持っている共生の思想を活かすべきです。


教育改革の必要性

 ─ 小路さんは経団連で教育・大学改革推進委員会の共同委員長を務めています。これからの教育改革の方向性を聞かせてください。

 小路 まずは「アントレプレナーシップ教育」を進めていくことが必要です。起業立国を目指すためにも、小・中学校からアントレ教育をカリキュラムに含めていかなければなりません。既に欧州では始めています。

 また、北欧の国では失敗してもまた学校に戻ってきて勉強し直し、再び起業するケースもあります。戻ってきたときには一部の授業料の補助も行っている。そういったことも含め、初等教育からアントレ教育を行い、子供たちの想像力を養っていくことが必要です。初等教育で教えることも大事ですが、同時に想像力を磨くことも大事なのです。

 ─ 教員の育成も必要になります。

 小路 はい。ですから「教育現場の処遇改善」は避けられません。もっと先生が本業に時間を割けるようにしなければならない。日本では6割の中学教員が月80時間の残業を強いられていると言われています。日本の教員は世界一忙しいのです。公立中学校の教員の負担減に向けた改革が欠かせません。

 そして最後が「グローバル人材の育成」です。そこで私は「異文化理解力」の醸成がグローバル教育の根本にあると思います。これが多様性にも繋がっていくからです。そもそも日本人は明治時代以降、異文化を受け入れてきた歴史があります。

 家庭でスパゲッティを食べる、畳の部屋もあれば洋間もある、着物を着れば洋服も着ると。もともと日本人は異文化許容度が高い。そういった異文化をもっと現地で学んでいかなければなりません。日本で学ぶだけで足りません。直接現地に行って異文化を学んでくることが必要なのではないかと思います。

 ─ 食品業界は原材料高騰に直面しています。賃金との絡みも含め、どう考えますか。

 小路 アサヒグループホールディングスではこう考えています。賃上げとは定期昇給+生産性向上率+価格転嫁+取引条件の改善です。これによって出た利益の大半を賃金で社員に戻しましょうと。生産性向上も社員の努力によるところが大きいから返しましょうと。

 ですから、アサヒビールでは業界内でもいち早く5%の賃上げを検討することを表明しました。当社で価格転嫁ができて賃上げが実現できれば消費も拡大します。海外ではそのリズムができあがっているわけです。そして当社が価格転嫁できれば中小企業のサプライヤーの値上げにも応えることができます。

 そういう意味においても、23年は経営者はもちろん、我々国民一人ひとりの覚悟が問われる年になるのではないでしょうか。

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