2023-03-16

元通産事務次官・福川伸次氏の提言「危機に立つ世界に貢献するには、日本国内を強くすべき。意識改革を」

福川伸次・地球産業文化研究所顧問

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「国内が強くなければ、国際社会で強くなれない」と強調する福川氏。今、米中対立、さらにはウクライナ危機と世界は「分断」と「停滞」の時を迎えている。その中で日本は国際社会にどのように貢献するかが問われている。そのためにも、まずは自らの足元を固める必要があるというのが福川氏の考え。世界の課題解決に向け、日本が打つべき手とは─。

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日中関係の将来を危惧していた大平正芳氏

 ─ 前回、日本社会全体としての改革が必要だという話をしていただきました。国内問題に加えて、外交も重要だと思いますが、どう考えますか。

 福川 前回、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を出版した米国の社会学者のエズラ・ヴォーゲル氏のことをお話しましたが、実は彼は日米中の関係改善に向けて努力していたんです。

 1990年代半ば、米国のUCバークレー、中国の上海グループ、そして日本の地球産業文化研究所、電通総研で日米中の「トライラテラル・フォーラム」という組織体をつくって議論をしていたんです。

 当時は米中の関係もよかったですし、中国もそこまで強くなっていませんでした。WTO(世界貿易機関)に加盟しようとしていた時代です。その時からエズラ・ヴォーゲル氏は「日米中の関係をよくすべきだ。できることならば、3国の経済連携の仕組みをつくりたい」と強く主張していたんです。おそらく亡くなるまで、その考えは変わっていなかったと思います。

 ─ エズラ・ヴォーゲル氏は中国の研究もかなり深く進めていましたね。中国語も堪能だった。

 福川 鄧小平氏とも仲がよかったですね。彼の願望は日米中が世界をリードする存在として協力していく姿だったんです。

 ─ しかし現実に今は米中が対立していますし、日本の立場も微妙なものがあります。

 福川 そうですね。これは大変難しい問題です。

 まず日中関係をどう考えるかですが、かつて私が秘書官として仕えた元首相の大平正芳氏はこの問題を心配しておられました。大平首相は1980年6月に亡くなりましたが、前年の79年12月に中国を訪問しました。迎えたのは華国鋒首相であり、副首相だった鄧小平氏でした。

 大平首相は72年に田中角栄首相による中国との国交正常化を外務大臣として支えました。78年には福田赳夫首相が「日中平和友好条約」に調印し、79年には大平氏が首相として円借款の供与を決めたという流れがあります。

 79年の訪中の際、大平首相は北京の全国政協礼堂で講演し、中国が進めていた「改革と開放」政策を支援するとともに、円借款供与を表明しました。

 ─ 当時は日中国交正常化も実現し、日中関係が順調に発展していくのではないかと思われていましたね。

 福川 ええ。日中には2000年に及ぶ歴史的な親近性、地理的な近接性、経済上の交流関係があることから、当時の関係者は、日中関係が大きく発展すると思っていました。

 しかし当時、大平首相は「今の状況のみをもって、日中関係が将来も発展すると思っては間違える。もっと真剣に相互の理解と共通の目的を探究しなければ、日中関係の将来は危ない」という内容の演説をしているのです。

 ─ 日中が関係改善に燃えている中で、危機感を持って将来を見ていたと。

 福川 そうです。大平首相は戦時中、大蔵省から出向して興亜院(対中政策を一元的に管理するために設置された内閣直属機関)の張家口連絡部で勤務していたことがあります。

 その時の経験から、真剣に相互理解を図り、お互いに信頼関係を醸成する努力をもっとしないと、必ず将来、日中関係は崩れると懸念していたのです。

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