2024-06-27

田浦良文・太平洋セメント社長「カーボンニュートラル対応としては混合セメントの普及を。そして、セメント需要が見込める海外市場を開拓していきたい」

田浦良文・太平洋セメント社長

「米国やアジア諸国など海外市場を開拓していく」と4月1日付で太平洋セメントの社長に就任した田浦良文氏。海外で旺盛なセメント需要を獲得し、さらなる成長を図る考えだ。さらにカーボンニュートラルにも注力。混合セメントの普及やCO2を吸収するセメントの開発など、セメントの新たな可能性に挑む。「セメントはまだまだ成長できる」と強調する同氏にセメント産業のこれからを直撃した。

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需要はピークの半分以下

 ─ 経済環境が激変する中での社長就任となりました。まず抱負から聞かせてください。

 田浦 一般的にはセメント産業はシュリンクしていると見られています。実際、日本のセメント需要は1990年のピークには約8600万トンでしたが、今や4000万トンを切り、2024年度は3500万トンを見込んでいます。そこに焦点が当たれば元気がなくなります。

 ですから私の役目としては、まずは社内を活性化、元気づけると。合わせて社内の風通しも良くして若手にチャレンジングなことをやらせる。たとえそれで失敗しても、そのことが糧になるようにしたい。「明るく楽しく元気に」が目標になります。

 それから前社長の不死原正文会長が掲げていた「人を大事にする」ことと「部門連携」は継続していきます。特に部門連携では「山ではなく山脈たれ」とすることで「成長の歩みを止めない」と。成長の歩みを止めないということはサステナブルということになります。その上で、「圧倒的なリーディングカンパニー」を目指していきたいと思っています。

 ─ 田浦さんは海外駐在の経験が長かったようですね。

 田浦 ええ。もともと工学部で化学工学を学び、小野田セメント(当時)に入社しました。私はエンジニアとして工場と生産部で品質管理や生産設備のチューニングを担当していました。工場でつくられたセメントで国土がつくられていくというセメント業界のダイナミックさを感じましたね。

 その後、3年間、労働組合の専従となり、33歳のときにタイ・バンコクでの事務所の設立を任されて12年間勤務しました。バンコクでは自分でビジネスを考え、様々な事業を立ち上げました。33歳の若者にそれだけのチャンスをくれたことに、心から感謝しています。

 帰国後は輸出や投資など海外関連の業務に携わりました。ですから、海外事業に携わった期間は30年ほどになります。

 ─ その海外市場をどう攻めていきますか。

 田浦 もっともっと伸ばしていかなければなりません。それだけ海外は伸ばせる市場だと思っています。その一例が米国です。米国の経済環境はまだまだ良いと捉えています。それにはいくつかの理由があります。

 ─ 詳しくお願いします。

 田浦 米国というと成熟した国という印象があると思いますが、そうではありません。

 まずは今でも人口が伸びているからです。10年間で2000万人増加しています。特にメキシコなどからの移民がカリフォルニア州やアリゾナ州、テキサス州などに流入してきているのです。これらは我々の事業が強い地域になります。

 セメントの需要は「パーキャピター」、つまり、1人当たりどれぐらいのセメントを使っているかという尺度だけでなく、国が道路や橋、港などに投資をしてセメントがどれだけ使われたかという「蓄積値」も大切な指標です。日本は1人当たり27~28トンですが、米国は20トン弱で、まだまだ伸びるチャンスがあります。


米国西海岸5州でシェア首位

 ─ 意外と少ない?

 田浦 ええ。高速道路なども整備されていますが、まだ線でしかありません。面的な広がりはこれからになります。米国は1人当たりのセメント蓄積値で見れば、マレーシアよりも低い。私の経験即からいくと、25トンくらいになってくると、成熟してきているという感覚です。

 ─ 力強いですね。

 田浦 はい。米国では民間による建設投資も期待されます。日本は公共投資と民間投資が約半々で官民に大きな開きはありませんが、米国は民間投資が70%ほどあります。ですから、公共投資も大事ですが、民間投資も大事だと。

 民間投資とはつまり住宅着工件数です。これがセメント消費と比例します。これは当社の独自の分析から導き出しました。

 米国の住宅着工件数はピークの05~06年で年間200万戸ありましたが、リーマン・ショック後に50万戸に激減。今はそこから盛り返してきて、おおむね140~160万戸で推移しています。高いレベルに戻ってきていると言えるでしょう。

 この背景には、米国では新築より中古の方が、市場が大きいということがあります。この中古住宅も年間400~500万戸あります。そして、住宅を売れば新たに住むための住宅を買います。

 さらに、コロナを経てテレワークが当たり前になってきたので、中心街ではなく郊外で住宅を求めるような動きも出てきている。ですから、州をまたいだ移動が出始めているのです。

 ─ この需要の変化をしっかり捉えないといけませんね。

 田浦 はい。米国のセメント業界では世界大手のホルシムをはじめ、20社ほどが広大な土地に対して分散して事業を展開しているのです。その中で当社は西海岸5州(ワシントン、オレゴン、カリフォルニア、ネバダ、アリゾナ)でのシェアが約40%となっています。米国全土とすれば約8%になります。

 ─ ということは、セメント産業はまだまだ成長できると。

 田浦 できると思います。ただ、国内と海外は大きく分ける必要があります。アジア諸国では、映画でいう『三丁目の夕日』の世界です。日本が高度成長期に東京タワーができて皆が目を輝かせていた時代を迎えているのです。経済の安定のためにはインフラ、港湾、電力の3つの整備が不可欠です。国として伸びるとき、そこに我々がいてお手伝いをしたいと思っています。

 一方の国内では足元のセメント需要は1960年のレベルです。その数量でどうやって収益力を高めるか。価格を上げていくしかありません。セメントの国内需要はゼロにはなりません。安定供給を続けていくためにも私としては値段を上げていき、セメント、生コン業界の地位を上げていきたいと思っています。

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