2023-06-13

【倉本 聰:富良野風話】復興

G7サミットに戦下のウクライナからゼレンスキー氏が加わったことは、何といっても衝撃的な出来事だった。

【倉本 聰:富良野風話】小百合

 世界の(といっても西側のだが)要人が集まっている場へ、自国への支援を促すためとはいえ、危険を冒して戦時下の国から自ら直接体を運ぶというその行動と心情には、とやかく言う以前に人を搏つものがあった。

 衣装にこだわらず戦闘服のまま、平和の中にあるこの国に降り立ち、平和記念館の展示物を見た彼の心には何があっただろう。直後のスピーチで、石に印された被災者の影に触れたことも、僕の心に刺さるものがあったし、今後のウクライナの復興のことに触れたのも、僕の心にグサリと刺さった。

 ゼレンスキー氏は広島の平和資料館を見て、原爆に焼き尽くされた78年前のヒロシマの惨状を、今現在のウクライナの都市たちに合わせて見ざるを得なかったらしい。

 戦火。

 近頃何かというとテレビの画面に登場する渋谷駅前の交差点。あの交差点の七十数年前の様相を僕は今でもはっきり思い出す。

 あの頃、あのあたりには、まだはっきりと戦争の爪跡が残っていた。瓦礫の山がそこここに残り、復員服の疲れた男たちやモンペ姿の女たちが、疲れ果てた絶望の顔で蠢くように漂っていたのである。今その形跡は跡形もなく、何も知らない若者たちがネオン輝く眩しい街の中を我が物顔に闊歩している。

 だが、実は彼らの弾んで歩くその地下数メートル、数十メートル下には、当時破壊された瓦礫や残滓が今猶しっかり残っているのである。無惨にこわされたあの戦前の瓦礫の山を、重機もろくになかったあの時代、先人たちは疲れ果てた体で、一片々々、己の力で片付けていったのだ。その上を、街の歴史も何も考えない若者の群がクリスマスだハロウィンだのと騒ぎ廻っている姿を見ると、あの時代を記憶する老人の世代は、ふと意味なく胸の底を熱くすることがある。

 ゼレンスキー氏が復興という言葉を口にしたとき、そうしたくり返す歴史の残酷さを思い、僕は心をしめつけられたのである。

 今から何年後か何十年後か、ウクライナの地が平和をとり戻し、かつての平和な街の姿や、あるいはデ・シーカがその昔、映画に描いたようなひまわりの咲きほこる田園風景をとり戻したとき、それは過去にそこにあった景色の美しさを凌駕するものになっているのだろうか。その地中に埋められた累々たる死体や瓦礫の上に咲くひまわりや野草は、かつての美しさを見せてくれるのだろうか。

 戦争の跡のみならず、現今の文明が排出しつづける、いわば発展の排泄物が地表にも地中にもどんどん溜まり、我々はその汚物の上で新たな文明を築いているのかもしれない。経済社会の出すそうした廃棄物から目をそむけようとする人々を、僕は心から軽蔑する。

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