2023-06-16

【わたしの母校・山梨県立日川高校を語ろう】資生堂元社長 弦間 明

山梨県は旧制一中が現在の山梨県立甲府第一高等学校で、二中が日川高校なんですよね。わたしの育った村(浅間村、現・笛吹市一宮町)から当時の旧制日川中学校へ進学する人は毎年5人くらいで、そういう意味では、名門中学、名門高校というイメージがありましたし、わたしも日川に入るということを誇らしく感じました。

 わたしが所属していたのは化学部です。実はわたしが生まれたのは東京ですが、すぐに農家だった祖父が亡くなり、わたしの父が一宮町に戻ってきたんですね。ですから、子供の頃から農業に使う化学肥料、窒素リン酸カリのことがどこか頭にあって、同じ中学から日川に進学した同級生3人で化学部へ入ったわけです。

 要するに、農業は自然の変化に向き合いますが、化学の方は意図的に化学変化をさせるわけですね。そこでいろいろな実験をやりましたけど、非常に勉強になりましたね。

 今から考えると感慨深いのは、実験で乳液だとか、化粧水やクリームをつくった記憶があるんです。その後、大学で商学部に進学して商売を学んで、就職する時にはたまたまですが、資生堂に入るわけですよね。

 化粧品で一番大事なのは乳化技術です。乳化技術が優れていないと、基礎化粧品を開発すると言っても上手くいきません。だから、農家で生まれて、化学部へ入り、商学を学んで、資生堂に就職すると。だから、全部たまたま選んだ道なんですが、自分でも奇遇な運命だなあと思いますね。

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