2023-06-16

【わたしの母校・山梨県立日川高校を語ろう】日本大学理事長 林 真理子

わたしの中学時代は、日川高校に進学する女子は各学校の上位6人以内に入らないと無理だと言われていました。だから、よほど頭が良くないと行けませんでしたし、素っ気ない制服ですけど、日川高校の制服に憧れる女子は多かった。だから、わたしも日川に進学できたことは非常に嬉しかったです。

 わたしは地元・山梨放送のラジオでDJをやっていました。また、劇で主役になったり、国体の壮行会で励ましの歌を歌ったりしました。真っ白い自転車を買ってもらって、通学の時にレンゲの花を摘んだりして、毎日学校に通うのが楽しかったですね。

 日川高校と言えば競歩大会が有名で、学校から東京・新宿までの120㌔を歩かされます。女子は男子の半分なので、わたしの頃は東京・小河内ダムまでの60㌔でした。途中の道沿いで甘酒や豚汁を出してくれるんですよね。「皆頑張れ」って応援してくれるんで、必死で60㌔を歩きました。

 中にはズルをして、バイクか何かに乗っけてもらう生徒がいるんです。それが見つかると停学でしたから、日川高校の生徒は根性がつきましたよね(笑)。

 本当に日川高校の生徒は皆、明るくノビノビしていて、体育の先生がラグビー部の先生だったんですけど、男子はラグビーの授業があったんです。ラグビーの試合中は、生徒が先生を殴ろうとも、タックルしようとも何をしてもいいんです(笑)。

 だから、男子は嬉々としてラグビーの授業に参加していましたし、それを許していた先生たちも大らかな時代だったと思います。

続きは本誌で

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