2022-07-19

円覚寺・横田南嶺管長が語る「『死』をいかに受け入れるか。これはいかに共に生きるかということにつながる」

横田南嶺・円覚寺管長



葬儀に見るつながりの断絶


 ─ 「人生100年時代」と言われ、人々が長く生きるようになり、死に向き合うことが必要になったともいえますね。

 横田 そう思います。以前の医師は、そんなことを考えなくてもよかったわけですが、ありがたいことに医学の進歩でみなさんが長生きする時代になりました。しかし、これからの若い世代がそれを支えていけるかというと非常に大変な時代です。

 ─ 人生観や哲学の問題ですが、医療を受けずに死んでいくという人も出てきています。

 横田 死を考えて死を受け入れる。死から逃げていたら、いつまででも生き延びかねない時代になってきましたからね。

 ─ 家族は医学の力で延命して欲しい、財務省的考え方からすれば、それによって数兆円の国家財政の負担がかかる。しかし、金と命のどちらが大事だと言われると難しい問題です。

 横田 先程の「人生100年時代」の中で、元気な100年ならばいいのですが。先日、JFEホールディングス名誉顧問の數土文夫さんにお会いした時に「健康寿命」、そしていつまで仕事で世の中の役に立つかという「職能寿命」、そして「資産寿命」が大事だというお話をされていました。

 かつては大手電機メーカーに入社すれば、生涯年収が保障されているようなものでしたが、今では夢のまた夢です。次の世代、その次の世代の資産寿命がどうなるかはわかりません。その意味でも死というものを、どこかで真剣に考えざるを得ない時代です。

 ─ 死を前向きに捉え、受け入れて生きる時代とも言えそうですね。ただ、先程横田管長がお話されたおじいさんの野辺送りですが、かつては形は違えど、全国津々浦々、一般的な送り方だったと思いますし、子供もそれを感じてきた。しかし、今はそれが違ってきているような気がします。

 横田 コロナ禍の問題にもかかわってきますが、ある時期から「家族葬」が普及してきました。今、ご家庭でおじいさんが亡くなったといって、学校を休ませてくれるのでしょうか。

 コロナ以前から、このつながりが絶たれつつあったと感じています。これは仏教の精神で一番大事な部分ですが、人間はつながりの中で生きるもので、つながりの中でしか存在し得ません。これは仏教の真理です。

 これを断ち切ってしまって、例えばお葬式はほんの数人が参加する家族葬が主流というのが今です。しかしお葬式は、故人にお世話になった人たちがきちんとお焼香に行ってお参りして、それで心にけじめがつくというためのものです。これが何もないと、皆さんの心にけじめがつかないわけです。

 かつては皆さん、冠婚葬祭を大事にしておられましたが、今は個人で、内々でという風潮が強まりました。それにコロナが追い打ちをかけた形になっています。コロナの感染が拡大しているうちは仕方がなかったかもしれませんが、これが落ち着いたら冠婚葬祭はきちんと行うべきだと思います。

 私の経験上も、最近は2桁の人が参列されるお葬式が減っていることを実感しています。かつては、よほどの事情がある人が数人のお葬式を行っていましたが、今はお子さんもきちんといて、かつそれなりの立派な企業に勤めている家でも、数人で行ってしまう。

 ─ 企業経営でも同じことが言えますね。1人で経営はできません。社員やお取引先、お客様がいて、そのつながりの中で経営があると。

 横田 その通りですね。近年は、日本に元来あるものをあまり評価しない風潮があり、つい外国の方がいいように見えてしまうのだと思いますが、その国の風土に合ったものはあると思います。日本には日本の良さがあります。

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