2023-04-05

【28歳で起業、50年経った今、後継者を含む課題解決は─】 日本電産・永守重信が今、思うこと「環境激変・困難期を生き抜く人材こそ」

永守重信・日本電産会長CEO



今年4月、社名を『ニデック』に変更



 創業50周年を機に、同社は今年4月、社名を変更。新しい社名は『ニデック(NIDEC)』。

「日本だけが日本電産で、ブランドはもう皆『ニデック』になっている。海外は全部NIDECで、仕事も圧倒的に海外が多いです。本体もニデックにする。グループ会社も、今までサンキョーとかコパルとかいっぱいありましたが、そういう会社も過去のブランドは消して、その会社が何をやっているか分かるような名前にする。日本電産サンキョーは『ニデックインスツルメンツ』に変更しますよ」

 同社売上高の9割近くが海外での売上だ。

「ソニーも、昔は東京通信工業といった。当社も創業から半世紀経ったので、社名を変えるということですね」と永守氏。

 創業期は、日本電気(NEC)と松下電産(現パナソニック)の両社を足したような会社になりたいと思って、『日本電産』という社名にした。それから半世紀が経ち、時代も変わり、新しくスタートを切るという思いでの社名変更である。

 永守氏はこの10年間、自らの後継問題について、試行錯誤してきた。

 昨年9月、当時の社長・関潤氏(日産自動車出身)が〝車載部門の不振〟、引いてはそれが影響して、予想通りの収益が得られなかったとして、社長を退任するという一幕があった。

 外部から、次期社長を選ぼうとして、10年前の2013年、カルソニックカンセイ元社長の呉文精氏をスカウトしたが、呉氏は15年9月に退社。15年3月に入社した吉本浩之氏(米ゼネラル・エレクトリック出身)が18年6月に社長に就任したが、吉本氏も21年5月に退社。関氏は20年1月に招かれ、同年4月社長COO(最高執行責任者)に就任。21年6月にはCEO(最高経営責任者)に昇格したが、翌22年4月、関氏はCEOから外れ、間もなく退任。

 何とも慌ただしい外部からの招聘劇だったが、永守氏はこの10年間を次のように総括。

「世の中は、自分が期待しているような経営者はいないなと。さらに見てみたら、社内に人材がちゃんと育っておると。僕もこの10年間を棒に振ったような気がします」。

 次の新しい成長を掴むために、自分の後は外部人材をスカウトしてつなぎ、その後をプロパーの後継者にバトンタッチしてもらうという図式を永守氏は描いていた。

 この10年間、「人探しで歩いているうちに、何のことはない、内から良い人材が育っていた」という永守氏の心境。これはと思う人物を社内から5人選び、今年4月、副社長に据える。そして、1年後の24年4月、この5人の中から次の社長を選ぶという段取りである。

 創業から50年、同社は永守氏の人間力、もっと言えば強烈な個性と指導力で成長、発展してきている。一部に〝ワンマン経営者〟と取られがちだが、先述のように、今や同社は、世界45カ国の事業拠点を構え、従業員数は約13万人の規模に膨れ上がっている。

 永守氏自身、「これだけの規模の会社をワンマンではやれません」と語る。

 ただ、類まれな指導力、個性でぐいぐいと同社を引っ張ってきた永守氏と違って、次は〝集団指導〟の色彩が濃くなりそうだ。その点は、永守氏も認める。

 しかし、集団指導では経営のカジ取りの方向が定まらなくなる可能性もあり得る。そこは次の社長になるトップの指導力、胆力、つまりリーダーシップが求められるということ。

Pick up注目の記事

Related関連記事

Ranking人気記事