2023-11-13

長 隆・日本子育て包括支援推進機構代表理事が語る「お金がなければ人の命を救えないというようでは、真の医療とは言えない」

長 隆・監査法人長隆事務所代表(日本子育て包括支援推進機構代表理事)

「姉の死がきっかけで医療福祉の改革に。また、少子化にも歯止めをかけたい」─。会計士でありながら、医療法人制度の導入や病院再編の先駆けとなった日本海総合病院の改革などに身を投じた長隆氏。そして今、日本子育て包括支援推進機構代表理事として子育て支援の拡充にも取り組む。高齢者による贈与税の非課税枠を活用して産後ケア施設への投資を促す仕組みづくりにも力を入れる長氏が見据える将来の日本の姿とは?

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姉の死をきっかけに

 ─ コロナ禍以前から公立病院を中心とした病院経営が厳しい状況に陥っています。長さんは総務省の公立病院改革懇談会座長などを務め、多くの病院経営の改革にマネジメント面から携わってきましたね。

 長 振り返ると、1975年に公認会計士試験に合格してから50年近くが経ちましたが、これまで病院経営を行う法人の改革に身を投じてきました。その数も400くらいになります。

 会計士になって企業の会計監査を担当すれば実入りも多かったと思いますが、私はあえて医療の世界に従事しようと決めました。きっかけは2番目の姉の死でした。夜学に通いながら製薬会社のオーナー家で女中をしていたのですが、風邪をこじらせて入院し、そのまま帰らぬ人になりました。

 姉は敗血症でしたが、家が決して裕福ではなく、最先端の医療を受けさせてあげるような余裕がありませんでした。私の父も40代の若さで1943年に結核で亡くなってしまっていたので、医療にはお金がかかるということを肌身で感じました。

 ただ一方で、このままでは日本の医療はダメになると思ったのも事実です。要は、お金がなければ人の命を救えないというようでは、真の医療とは言えないのではないか。この思いがあって、私は医療福祉の世界に入ろうと思うようになりました。

 ─ まさに原体験ですね。

 長 ええ。良い治療を受けられるか受けられないかで生死が分けられてしまうことに強い疑問と憤りを感じました。その後は人と人とのご縁でした。私が日本医師会の医業税制検討委員会の委員になると、多くの病院から声がかかるようになりました。当時、公認会計士で委員を務めていたのは私だけだったからです。

 そもそもこの委員になったのも、当時の埼玉県医師会の会長から声をかけてもらったことがきっかけでした。そのときに制度としてつくられたのが、1人医療法人制度です。これを日本で初めて弁護士法人などに先駆けて答申しました。


1人医師医療法人制度を答申した狙い

 ─ この制度のポイントはどんなところになりますか。

 長 1人の医師がいれば法人を設立できるという制度です。現在も弁護士法人でも1人の弁護士がいれば設立できます。これを弁護士に先駆けて医療の世界でできるように尽力したのです。法人化すれば累進課税や交際費の処理の面でも様々なメリットが出てきます。

 それまでは節税する場合、子会社の株式会社をつくることが流行っていました。これは好ましい手法ではありません。法人税の適用される株式会社であれば、所得税など支払う税金を大きく抑えられるからです。

 当時の厚生省(現厚生労働省)もそれを好ましくないと考えていました。営利法人として機能させることは好ましくありません。医師1人でも法人にすることができれば、医療を継続させながらの節税が可能になります。そこで医療法改正のタイミングで実現に尽力しました。

 ─ 今では医療法人は当たり前の存在になりましたね。

 長 はい。5万8000くらいあるのではないでしょうか。医療法人になることで相続税問題が解決することができます。開業医が個人でやっていると税金が高くて払えませんでしたからね。農業の場合には農業用地が評価される制度があるため、相続税の原資を賄うことができたのですが、医療の場合はそういった評価制度はありません。それを真似しました。

 突如、相続税が払えないという理由で病院が潰れてしまっては、患者が困ってしまいます。それを防ぐことが大義としてありました。そして、1人医師医療法人という珍しい法律ができたのです。

 ─ これは世界でもあまり例がない法律になりますか。

 長 他国にはありませんね。この法律ができたことで、医療福祉で働く方々と私の事業の人脈も構築することができるようになりました。その最たる事例が「公立病院改革懇談会」の座長に選任されたことです。2007年に総務大臣だった菅義偉さん(前首相)との出会いがきっかけです。

 それまで菅さんとは面識が全くなかったのです。お付き合いが始まったのは大田弘子先生(元経済財政担当大臣、現政策研究大学院大学学長)が私を座長に推薦してくれたからです。大田さんは第一次安倍晋三内閣で経済財政諮問会議に参加されていたのですが、ここで公立病院の改革が俎上に上がりました。

 そこで大田さんが菅さんに私を推薦してくれたそうです。大田さんはテレビ東京の番組『ガイアの夜明け』で、公立病院改革が取り上げられ、そのときに私を知ったそうです。大変名誉なことですから、私も骨身を砕く思いで引き受けました。

 ─ 菅前首相自身が病院改革の必要性を感じ取っていたということですね。

 長 そうですね。菅さんはまさに有言実行でした。懇談会を本気で立ち上げて「公立病院改革ガイドライン」をつくられましたからね。日限や金額、方法など全てを断定表現にしたのですが、それを菅さんはしっかり反映させてくれたのです。この公立病院改革ガイドラインが全国の公立病院に対する〝水戸黄門様の印籠〟のような形で動いていったのです。

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