2024-01-07

【倉本 聰:富良野風話】光害

内地では漸く紅葉の季節が終わったらしい。

【倉本 聰:富良野風話】世襲議員

 木々たちのためにホッとしている。

 一体全体どういうことなのだろう。以前は限られた風流人だけが秋になるとソッと山へ入り、山の神々が静謐の森にひそかに絵筆を運ばれて緑のキャンバスに赤や黄色のその年のグラデーションを秘かに描かれた。それを静かに見て心に残すことが田舎の秋の楽しみだった。

 最近は全くその景色が変わった。

 観光業者がビジネスチャンスとばかりに、都会人のみならず、異国の人間にまで、キレイダヨキレイダヨ、今ダヨ、イラッシャイ!と余計な宣伝をするものだから、美意識なんて毫も持ち合わせない只、物見高い全世界の物好きがスマホ片手にドッと押しかけ、ワイワイギャアギャアと、はしゃぎまくっている。萬葉の歌詠みや江戸の俳人がこの景色を見たら逃げ出すだろう。

 更にタチの悪い観光業者は、更にこの混沌をもっと進めようと、夜間も人を集めようと、ライトアップなる怪しからぬことまで始めた。

 ライトアップ!

 植物も夜は眠たいのである。それを眠らさせないで光を浴びせる。大体、光は上から来るもので、葉は表と裏の色が全くちがう。上から来た光を、ただ葉を通らせて光合成に使うのではなく、殆んど白に近い葉表の色で反射させてまた上に戻し、入り乱れた光合成細胞の間を通して光合成をするという。非常に緻密な構造になっている。

 それを無視して下から、即ち葉裏の方から光を浴びせるという行為は、いうなれば痴漢の行為に等しいもので、環境省が平成10年に光害対策ガイドラインとして公表している。大体、環境省による試算に基づけば、ライトアップを含む夜間照明による二酸化炭素の排出量は、このところかなり増大しているらしい。

 皇居周辺の濠では近年まで発生が見られたヘイケボタルが、この2シーズン、確認されていないといわれている。更には皇居を外側からライトアップしようとする構想もあるという。愚案である。

 伊勢神宮では、今でも真の闇=浄闇(じょうあん)の中で行われる儀式が続いているが、靖国神社では周辺のビルの明かりによって、浄闇が作れなくなったと大分以前に聞いたことがある。

 夜桜の風習は古くからある。

 祇園の夜桜、福島三春の滝桜。

 だが、あれらは桜の花びらの浅いピンクを通して月の光を愉しむもので、ライトアップで桜の花びらを浮かび上がらせるものではあるまい。

 月光と浅い桜の花びら。その対照の美しさを愛でたのは、古来の日本人の美意識であり、ライトアップでそれを際立たせるのは、古人の美学をないがしろにするものである。紅葉。また然り。

 外国人にそれを誇りたいなら、古来の日本人の美意識をこそ誇ろうではないか。

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