2024-02-08

【政界】補選回避の4月解散説も浮上 経済再生や外交政策で覚悟が問われる岸田首相

イラスト・山田紳

元日の能登半島地震、2日の羽田空港での航空機衝突・炎上と2024年は波乱の幕開けとなった。政界でも自民党派閥のパーティー券を巡る裏金事件が暗い影を落とす中、大きな焦点は9月に自民党総裁の任期が満了する首相・岸田文雄が衆院解散・総選挙に踏み切るかどうかだ。岸田派の解散を率先して表明し、安倍派と二階派が追随する流れを作った岸田は苦境に立てば立つほど意気軒高だという。完全なデフレ脱却にも自信を深めているとされるが、果たして国民の期待に応える1年となり得るのか。

【政界】政治不信に直面する自民党 改革断行への〝覚悟〟が求められる岸田首相

攻めるための派閥解散

 岸田が今年で創設67年、池田勇人が創設した自民党最古の派閥・宏池会(岸田派)の解散を決断したのは18日だった。当日の朝刊で朝日新聞がパーティー収支不記載事件で同派の元会計責任者の立件方針を報じると、官邸に密かに派閥幹部を次々と呼び、岸田派解散の意向を伝えた。

 安倍派などの立件が不可避の情勢となってから内心では自民党の派閥を解散すべきだと考えていた岸田だったが、岸田派を巡る朝日記事が背中を押した。ことあるごとに相談してきた副総裁の麻生太郎にも、相談どころか事前通告さえしなかった岸田は周囲に「後ろ向きではなく、攻めるための解散だ」と息巻く。

 岸田の独断専行に麻生が激怒したとの報道もあったが、2人は麻生の誘いで21日夜に2時間にわたり会食。岸田は謝罪し、今後も連携していくことを確認して「和解」したという。

 今回の電撃的な派閥解散劇は、岸田が2021年の総裁選出馬にあたり、当時幹事長だった二階俊博を外すため、幹事長の任期を新たに設ける方針を掲げた「二階斬り」を上回るインパクトを党に与えた。

 最大派閥の安倍派も解散を決定し、二階率いる二階派も解散を決めた。ほとぼりがさめれば、いずれ再結集するともみられているが、いずれにせよ自民党にとっては一大事である。そして岸田の思惑は一定程度の効果があったようだ。裏金事件の影響で内閣支持率は激減してもおかしくなかったが、おおむね横ばいか、むしろ上昇に転じているのだ。

 朝日新聞が20、21両日に実施した世論調査は、内閣支持率23%、不支持率66%で、いずれも前月と同じだった。読売新聞(19~21日調査)は支持率こそ前月比1ポイント減の24%だったが、不支持率は2ポイント減の61%だった。産経新聞とFNN(20、21両日)では内閣支持率が5.1ポイント増の27.6%、不支持率が5.5ポイント減の66.4%だった。

 年明けの能登半島地震への対応で政府は大きなミスといえるような失態がなかったこともあるが、3派閥の解散が好意的に受け止められた可能性がある。

 自民党の支持率も、朝日では前月から1ポイント増え、24%となった。読売は25%で3ポイント減ったが、産経・FNNは27.1%で、0.2ポイントの減少にとどまっている。

 岸田の派閥解散宣言前に行われた1月中旬の共同通信の世論調査でも内閣支持率は前月比5.0ポイント増えて27.3%、NHKは3ポイント増の26%だった。内閣不支持率は共同が7.9ポイント減の57.5%、NHKが2ポイント減の56%で、底を打つ傾向が出始めていた。岸田は、まさにピンチをチャンスに転じつつある。


竹下的カレンダーの示唆

 世論を味方につけようとする岸田の心境に影響を与えそうな興味深い資料がある。

 永田町や霞が関で定期的に出回る「竹下的カレンダー」というものだ。竹下登元首相が存命の時、作成を指示したとされるもので、「竹下的」として引き継がれている。国会日程や法案審議の見通し、政治家の誕生日や没日などが記載され、何かと重宝する関係者は多い。

 最新版には、辰年は衆院選が行われることが多く、西暦の末尾が「4」の年は、首相が交代することが多いというデータが記載されていた。つまり辰年である今年は衆院選が行われ、首相が交代する可能性が高いことを示唆している。

 直近の辰年だった2012年は衆院選を経て野田佳彦から安倍晋三へ、その前の2000年は小渕恵三から森喜朗に交代した直後に衆院選があった。1976年は任期満了に伴う衆院選の結果、三木武夫から福田赳夫に交代。52年も衆院選があり、なかったのは88年と64年。6回中4回、衆院選が行われた。

 他の干支の場合を調べたところ、戦後、最も衆院選が行われた干支は辰年、羊年、酉年の4回だった。

 首相交代が多かった干支は子年の6回で、次いで多いのが辰年と戌年の4回。ただ、辰年は今年を除き戦後6回、戌年は7回だったので、辰年に首相が交代する確率は高いと言える。

 同じ年に衆院選と首相交代があった干支をみると、辰年が子年と並び3回で最多だ。辰年は2000年、12年と2回連続で衆院選と首相交代があった。

 西暦の末尾の数字別に首相交代が多かった年を調べると、最多は「0」と「6」の5回で、「1」「4」「7」「8」の4回が続く。

 末尾が「4」の年は、1945年以降では唯一、6回(今年を除く)で、ほかはすべて7回であることを踏まえると、やはり「4」の年に首相が交代する確率は比較的高い。

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