2024-04-23

今泉賢治・ナイガイ社長「靴下を核に、皆様の『足』の悩みを解決するソリューション企業でありたい」

今泉賢治・ナイガイ社長

1920年創業の老舗アパレルメーカー・ナイガイ。バブル崩壊後は厳しい状況に追い込まれながらも、地道に立て直しを進めてきた。新たな事業構造を表すキーワードが「レッグソリューション」。その1つが、ユニバーサルデザインのコンサルティング事業を展開するミライロとの協業。そこで生まれた「みんなのくつした」以降、多様な人の「足」に関する悩みを解決する商品を提供するという経営戦略だ。

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創業から100年以上 靴下の老舗

 ─ ナイガイは100年以上の歴史を持つ企業ですが、欧米の技術を輸入した靴下づくりからスタートしたそうですね。

 今泉 ええ。森村グループ(当時、森村組)の米国法人・モリムラ・ブラザーズ出身の依田耕一と小林雅一が、欧米から近代的な靴下の編み機を輸入し、日本で初めての近代的な設備を備えた靴下会社として、1920年に名古屋で創業しました。

 現在は東京・赤坂に居を構えていますが、森村不動産が管理しているビルです。たまたまご紹介いただいたのですが、創業者からの森村グループさんとのご縁を感じます。

 創業者達は国産で、誰でも履けるような価格で靴下をつくろうという志で創業しました。その後は時代のニーズに合わせて、耐久性、履きやすさ、ファッション性などを追求してきたのです。当社の技術マニュアルが、日本の他の靴下メーカーのマニュアルの土台になっています。

 ─ 様々な企業がある中で、ナイガイの特色は何ですか。

 今泉 我々は高付加価値の製品づくりを行い、百貨店マーケットを中心に靴下を販売しているという特徴があります。

 かつては婦人服、紳士服、子供服、リビング関係なども展開する総合アパレルメーカーで、ピークの1991年には売上高1200億円弱に達したこともありました(24年1月期は135億円)。

 ただ、バブル崩壊後、特に百貨店マーケットが厳しくなり、依存度が高かった我々も厳しい状況に陥りました。バブルに向かって右肩上がりで伸びた売り上げが、それ以降、急激に落ちていったのです。

 ─ 現在の事業構成はどうなっていますか。

 今泉 現在は靴下を中心に、肌着とホームウエアを展開しています。

 ─ 靴下は祖業ですね。今は業界的に輸入品の割合も増えていると思いますが、ナイガイの構成は?

 今泉 業界全体で言えば9割は輸入品です。弊社は5割海外、5割国産という比率です。製造の機械は万国共通ですが、やはり商品に付加価値をつける国内の技術者の力が必要です。

 ─ バブル崩壊後に苦境に陥った要因をどう分析しますか。

 今泉 靴下は百貨店だけでなく量販店での取り扱いがありますから、まだよかったのですが婦人服や紳士服は100%百貨店ルートだったことは痛かったと思います。

 当社が成長している時期の百貨店は、売り場がアイテムごとに分かれていましたが、その後はブランドごとにトータルアイテムを扱う形に変わっていきました。百貨店自身が売り場を編集する形から、ブランドに場所を貸す効率的な運営にシフトしたわけです。我々はそのビジネスにシフトできませんでした。

 その後は東京・神田の本社を売却するなど、合理化を繰り返してきました。

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