工事での大きなトラブルを「信頼」で乗り越える
─ ところで、大学を卒業した後、ゼネコンを志望した理由を聞かせて下さい。
細川 元々、母方の祖父と伯父がゼネコン、父方の祖父が北海道開発局でダムの仕事に携わっていたこともあり、建設の仕事について見聞きすることも多く、興味を持っていました。
そうして西松建設に入ったのですが、当初は自分で土建会社を起こしたいという思いを持っていました。学生ですから非常に短絡的ですが、自分で会社をつくることができたら楽しいだろうなと思っていたのです。
─ 実際に入社してみて仕事はどうでしたか。
細川 中部支店に配属になりました。2カ所目の現場では調整池建設工事で、山間部のロックフィルダム(岩石や土砂を積み上げて建設する型式のダム)など、非常に大型のものをつくる仕事に携わりました。
非常に新鮮だったのは、予算の組み方です。大きなことをやっているから、もっとざっくりしているのかと思っていたら、1日の単価を非常に細かく出していたことに驚きました。
─ これまでの仕事の中で、これを乗り越えたから今があるといった経験は、どういうものがありますか。
細川 途中、うまくいかなかった仕事は今でも覚えています。30代後半で経験した高速道路のインターチェンジの工事では、地盤が軟弱でボックスカルバート(地中に埋設され、水路や通信線などの収容に使われる箱型のコンクリート構造物)が沈下してしまったのです。
沈下したものを壊すとなると、完全に損が出ます。そういうわけにもいきませんから、壊さずに進められる方法を考えました。参考にしたのが建物を壊さずにジャッキアップして移動させる「曳家」です。
そこで、直接基礎を杭構造に変えることにしたのです。要はジャッキをひっくり返し、ボックスカルバートの重さを反力にとり、鋼管の短杭を地盤に圧入することを繰り返して支持杭としたのです。コストがかかりますから採用することが少ない工法でしたが、もうこれしかないということで実行しました。
─ 土壇場で知恵を出した形ですね。
細川 ええ。元々は地盤の調査を始め、一般に行う試験以上のことを事前に行っていたこともあり、計画変更を認めてもらうことができました。
正直、ボックスカルバートが沈下した時には、損失が大きすぎて会社を辞めなければいけないと覚悟しました。しかし、問題解決に向けた工法の提案が発注者からも信頼されて、計画変更もできた。その後、そこで得た信頼によって想定以上に収益を上げることができました。まさにどん底から這い上がることができたという経験でした。
また、民主党政権の時代に、本当に仕事が取れない時期がありました。何をやっても仕事が取れず、利益がない仕事でも受けるということが続きました。
そんな状況下に、私は西日本支社で、技術提案部署の責任者となり意欲的に提案を行った結果、近畿自動車道紀勢線のトンネル工事を皮切りに、西日本地区で多くの工事を受注することができました。
その後、経営企画部に異動して中計策定などに携わることになるわけですが、当社の業績も上向いてきた時期でしたから私自身、この頃から「運」がついてきたような感じがしています。
(聞き手 本誌・大浦 秀和)