2021-05-20

豊島区・高野之夫区長「『消滅可能性都市』と指摘された後、危機意識を共有し、まちづくりに打ち込んできた」

高野之夫・豊島区長

たかの・ゆきお
1937年12月東京都生まれ。60年立教大学経済学部卒業。83年豊島区議会議員(2期)、89年東京都議会議員(3期)、99年豊島区長に就任。


ピンチをチャンスに、政策を一大転換


 ─ 高野さんは豊島区で生まれ、育っており、区に対する愛着は人一倍のものがあろうかと思います。今は「国際アート・カルチャー都市」として存在感を高めていますが、2014年に日本創成会議が発表した「消滅可能性都市」に東京23区で唯一入り、区民に衝撃を与えましたね。

 高野 日本創成会議は2010年から2040年にかけて、20~39歳の女性が50%以上減少すると推計された自治体を「消滅可能性都市」とし、おっしゃるように23区で唯一、豊島区が指摘を受けました。これは大きなショックでした。

 豊島区を代表するまちである池袋は戦後、「怖い」、「汚い」、「暗い」といったイメージを持たれていましたが、そのイメージを変えるのが私の役目だと考えてきました。

 私は区議会議員から都議会議員になり、区長に就任しました。まちのイメージを変えるという思いがあったから、区長にまでなることができたのだと考えています。一生懸命、いいまちをつくるために頑張って、人口が増え、若い方も多く訪れるようになっていました。私としては努力した甲斐があったなと思った矢先に、消滅可能性都市と指摘されたわけです。

 ─ 指摘を受けて、どう感じましたか。

 高野 このまま甘んじていたら、何のために区長をやってきたんだと。消滅可能性都市が豊島区の代名詞になってしまったら、一生イメージを変えることができません。そこでこのピンチをチャンスに変えるために、思い切って政策転換をしようと決めました。

 ─ 高野さんが区長に就任した時も、豊島区は財政が厳しい状況に置かれていたとか。

 高野 ええ。私は平成11年(1999年)に区長になりましたが、借金は一般会計とほぼ同額の872億円あるのに対し、貯金はたった36億円しかない状況で、まさに財政破綻の危機にありました。

 そこから身を切るような思いで借金を減らし、貯金を増やすことに取り組んだ結果、ようやく貯金が上回り、バランスの取れた財政状態となりました。区長就任から実に14年目のことです。

 ─ 企業で言えばリストラにも取り組んだと。

 高野 3000人いた職員は2000人に減らした他、全職員の給与を減額、施設の統廃合など、痛みの伴う行財政改革に取り組みました。ただ、「あれもダメ、これもダメ」では豊島区民に夢がなくなりますし、縮こまってしまいます。どんなに財政状況が悪くても、区民の心が豊かにならなくてはいけません。そこで区政の中心に「文化」を置くことにしたのです。

 ─ 区民の反応はどうでしたか。

 高野 はじめは叩かれました(笑)。「文化でご飯が食べられるのか」と。しかし、文化には未来や平和を創り、人々の心に希望をもたらす力があります。私は終始一貫、どん底の時もぶれることなく「文化によるまちづくり」を訴え続けてきました。

 そして、消滅可能性都市と指摘を受けた時も「子どもと女性にやさしいまちづくり」など4つの柱と、豊島区として明確な都市像を打ち出すため、世界を視野に置いた「国際アート・カルチャー都市構想」を発表しました。消滅可能性都市を乗り越えて、持続発展する国際文化都市を創り上げていこうと。

 これらの取り組みが功を奏して、2014年から5年間で納税義務者数は2万人を超える増加があり、区民税収入は約43億円増えました。まちが変わったからこそ、人口増や区民税の収入増に結びついたのです。

日本で初めての「マンション一体型庁舎」に


 ─ 区庁舎も新しくなり、跡地開発も進みました。税金を使わずに庁舎を建設されたとか。

 高野 現在の豊島区庁舎は日本で初めてのマンション一体型庁舎です。区有資産を活用して、実質「ゼロ円」借金なしで建設することができました。

 設計は30年以上お付き合いさせていただいている、建築家の隈研吾さんにお願いしました。隈さんは日本初のマンション一体型庁舎にするにあたり「1本の樹木」のような、まちに溶け込むデザインにしてくれました。庁舎の四方を覆うように設置されたエコヴェールは、緑化パネルや太陽光発電パネルなどで構成されています。

 ─ 元々、この場所は何があったんですか。

 高野 小学校の跡地でした。この区画の土地は区が6割、地権者の方々が4割持っていました。学校跡地を利用した市街地再開発事業によって、庁舎建設に必要な土地を確保するとともに、旧庁舎地に定期借地権を設定し、191億円の資金を生み出しました。その資金のうち、約136億円を新庁舎の整備費に充て、約55億円が残りました。

 ─ 知恵を掘り起こせば可能性があるということですね。旧庁舎の跡地は現在、劇場になっていますね。

 高野 旧庁舎の跡地は、8つの劇場を有する、世界に類を見ない、文化芸術の発信拠点である「ハレザ池袋」となりました。ここはまさに我々が目指す「国際アート・カルチャー都市」のシンボルです。こけら落とし公演は宝塚歌劇団にお願いしました。

 ─ 池袋にタカラヅカ。先方はどういう反応でしたか。

 高野 「池袋にタカラヅカは似合いません」とズバリ言われました(笑)。ですが、私は諦めずに何度も歌劇団の地元である宝塚に通って、我々の構想をお話し、「タカラヅカは特別なファンだけのものじゃありません、大衆文化です」と訴えました。

 そうして19年12月のこけら落とし公演を開催できたのです。しかし、それに続く20年2月の公演は、残念ながらコロナ禍により途中で休演せざるを得なくなりました。その後、1年余りを経て、今年4月10日から、万全のコロナ対策を施した上で宝塚歌劇団の公演を再開しました。こうした取り組みが大きく池袋を変えていくと信じています。

豊島区庁舎
日本で初めてのマンション一体型庁舎となった豊島区庁舎

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