2021-05-20

豊島区・高野之夫区長「『消滅可能性都市』と指摘された後、危機意識を共有し、まちづくりに打ち込んできた」

高野之夫・豊島区長


暗かった公園を家族の憩いの場に


 ─ 南池袋公園も大きく姿を変えました。これも変わる池袋の象徴ですね。

 高野 そうですね。整備前は木が鬱蒼と生えて暗く、ホームレスの多い公園でした。この公園が変わらないと街のイメージは変わりません。そこで芝生を中心に、ニューヨークのブライアント・パークのような公園をつくりました。

 また、国家プロジェクトである「東アジア文化都市」にも選定され、19年には日本の代表文化都市として中国の西安市(唐の時代は長安)、韓国の仁川広域市と交流をさせていただきました。

 ─ 西安市も仁川広域市も大都市ですね。交流を通じてどのようなことを感じましたか。

 高野 文化に国境はなく、文化的事業に都市の大小は関係ないと実感しました。豊島区には世界共通の文化ともいえるアニメ・マンガがあります。「ハレザ池袋」の隣にある「アニメイト」さんはまさにアニメの聖地で、コロナ禍の前は1日1万人ほどが訪れていました。アニメを通じて、西安市、仁川広域市とも堂々と交流できたわけです。

 この東アジア文化都市を記念して、23のまちづくり記念事業に取り組み、全て完成しました。こうした思い切った政策を実行できたのは、消滅可能性都市と指摘されたからです。

 ─ 発奮材料になったわけですね。

 高野 そうです。区民とも意識が共有できたと思います。豊島区にとっては約450億円という100年に1度の大投資でした。一時的に借金が増えても、私はこのチャンスに全て賭けるべきだと考えました。ただし、過去の財政破綻寸前の経験を生かして、使ったお金は負債として先送りしない方法で予算を組みました。

 東京オリンピック・パラリンピックを見据えた事業でしたが、残念ながらコロナ禍で延期となりました。ただ、コロナが終息を見た暁には、これまでの投資が生きて、さらに価値あるまちになると思います。投資したものは必ず戻ってくるという強い信念で取り組みました。

 ─ 先程、南池袋公園のお話がありましたが、池袋西口公園も文化発信の場所として姿を変えていますね。

 高野 池袋西口公園(グローバルリング)には野外劇場をつくり、世界屈指の音楽家たちによるクラシック音楽のコンサートを開催しています。隣接の東京芸術劇場とともに、国際文化の発信拠点となっています。

 また、20年12月に造幣局跡地にグランドオープンした「としまみどりの防災公園」は区内最大面積で、ヘリポートや給水設備、72時間発電が可能な装置等も備え、区の防災の拠点です。

 この防災公園の隣には「としまキッズパーク」という、障害の有無に関わらず、誰もが一緒に遊べるインクルーシブ公園もオープンしました。

 子育てしやすいまちを実現するために、保育所を積極的に開設し、たとえば私立認可保育所は13年の9園から21年には69園となりました。これにより17年・18年と待機児童ゼロを達成、国が取り扱いを見直したことにより、19年は若干の待機児童が出ましたが、20年も再びゼロ、21年についてもゼロを達成できる見込みです。

 ただ、豊島区は空いた土地が少なく、マンションの一角などに保育所を設置することが多いため、園庭がありません。そこで「IKEBUS」を活用して保育園児たちを「としまキッズパーク」に送迎し、思い切り遊べるようにしています。

次の世代につなぐ中継ランナーとして


 ─ 消滅可能性都市の指摘を受けた後、区長以下、みんなで危機意識を共有できたから、こうした事業ができたと。

 高野 そうです。消滅可能性都市がなければ、私はそれまでのまちづくりを淡々と進めていたでしょう。借金が消え、貯金が増えて財政が安定してくれば、私の役回りは終わりかなと思っていましたから。しかし、100年に1度の大投資をしましたから、休んではいられません(笑)。

 ─ 今は6期目に入っているんですね。

 高野 そうです。3期目までは先程お話したように、とにかく財政再建で、何も身動きが取れませんでしたが、財政が安定した後には、大きな賭けかもしれませんがチャンスが来たと捉えて、魅力あるまちにしていくための施策を強力に推進していくことにしたのです。

 ─ 高野さんは豊島区で生まれ育ったわけですが、ご自身のふるさとのために頑張ってこられたわけですね。

 高野 冒頭申し上げたように、戦後長く「池袋は怖いまちだから行ってはダメだよ」と言われる時代が続きました。それが今や安全・安心な、子育てしやすいまちになってきています。

 ─ 子育てしやすいまちづくりの上で「産後ケア」に対する考え方を聞かせて下さい。

 高野 出生率を上げていくことは、引き続き豊島区の課題です。産後ケアに対しても、他の自治体と同じように工夫して取り組んでいますが、今後さらに出生率を上げるために、これから積極的に環境を整えていきたいと思っています。

 その意味で課題が多い方が、危機意識が隅々まで行き渡るのかもしれません。「オールとしま」で区民と共に歩んでいくという思いが私の原点にあります。

 豊島区は昨年、東京で初めて「SDGs 未来都市」と「自治体SDGs モデル都市」にダブル選定されました。私たちがこれまで展開してきた「誰もが主役のまちづくり」は、SDGs が目指す「誰一人取り残さない社会の実現」そのものです。私たちは次の世代に向けた中継ランナーですから、しっかりバトンをつないでいかなければなりません。

 これだけ長く区長を務められているのも、私の熱い思いを含めてまちの方々がご支援してくださったからです。まちづくりはこれからさらに広がっていきますが、次の世代に誰一人取り残さない、持続発展するまちを引き継いでいくという役割は、無事果たしつつあると感じています。

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